インド経由、笛の吹き方の通信教育。

よく読ませていただいている内田樹さんのブログSKYPE(スカイプ)に関して言及しているエントリーがある。内田さんの文章には首肯させられるものが多いのだけど、この「skype とニート論」というエントリーには少々ひっかかるものを感じた。

内田さんはSKYPEをこれまでもハッカーによって色々試みられて来た「電話のただ掛け」技術と同列のもので、「それによって国際政治や世界経済が大きく変化するということはないように思う。」と感想を述べられている。確かに個人でSKYPEを導入してみてもこれまでの有料電話と同じようにどうでもいい会話を知人と交わす程度のものでそれ以上のものでは無い。ましてわが国では多くの人が知人との連絡をメールで交わすことが多くなり、回線越しでリアルタイムの会話を交わす機会は減っているだろう。携帯電話の低額な固定料金制が普及すればわざわざPCを経由しなければいけないSKYPEを使う意味はより小さくなる。しかしながら内田さんはSKYPEP2Pとしての側面を見逃しているように思える。

私のP2P初体験は今は亡きNapstarだ。Napstarは自分が聞きたい音源を持っているNapstarユーザーを検索してリスト登録し先方からファイルが落ちてくるのを待つ、という仕組みで、私がNapstarユーザーになったのは日本国内では未CD化などで入手困難な音源にアクセスするためだった。実際に接続してみてキーワードになる語句で検索すると確かにレアな海外音源が沢山見つかる。(レアといっても当地ではポピュラーな音楽ジャンルだったりするのだが。)

すっかりウレシクなってリスト登録しそれらのファイルが落ちてくるのを待っていたわけだが、しばらくすると突然チャットウィンドウが開き、そこにテキストが次々に現れてきた。
突然だったのでびっくりしたものの(チャット機能があることを知らなかったのだ。)、気を取り直して内容を読むと英語で「お前んとこの回線はえらく遅いけどどうなってるのだ?」と聞いてきている。当時は低速のISDN回線ユーザーだったのでその由を伝え、「ところで君はどこの人なの?」と聞いて見ると、イスラエルからだと言う。しばらくそっちの天気はどうだ?とか君はいくつだ?とか他愛ない会話を交わしチャットを終えたわけだが、しばらくするとまたチャットウィンドウが開き私の公開フォルダーの中身を検索したユーザーらしき人物が「お前の趣味はなかなかいい。」と言ってきた。今度はイタリア人で、しばらくイタリア映画のサントラについての話などを拙い英語で交わした。

インターネットに接した時から「世界」への漠然とした「接続感」や「開放感」を感じていたのだが、Napstarで初めてその「接続感」「開放感」をものすごくリアルに感じた体験だった。それまでもBBSやサイトオーナーへのメール等で見知らぬ外国人とコンタクトをとることはあったが、それらは彼らのプロフィールをある程度事前に知ってからのことだ。Napstarではリアルタイムで通りがかりの人に声をかけられたのと同じような感覚を味わったのだ。

SKYPEには「SKYPE ME」というモードがある。「SKYPE ME」にしておくと、SKYPE のユーザーリストの自分の欄に「見知らぬ人からの着信もOKです。」というマークが付く。見知らぬ人と話してみたいSKYPEユーザーはユーザーリストを検索する際「SKYPE ME」マークの付いた人を捜す。私もしばらく「SKYPE ME」モードにしてみたが、果たして次々に色々な国から電話がかかって来た。
最初にとったのはドイツの10代の少女らしき三人組が知ってる限りの日本語を喋ってはケラケラ笑うだけの冷やかし電話だったが、彼女らの背後で鳴いている鳥の声や街に行き交う車の音まで聞こえて来て、Napstarのチャットとは比べものにならない臨場感と同時性を感じたのだ。
その後も次々に色々な国の人と話してみた。もちろん話す内容は他愛のないことでしかないし、また大抵一度きりの会話なのだけど、中にはそうでない人もいる。
たとえばリオに住んでいるSuperBruno君は酔っぱらっては何度も電話をかけてくる。彼がほぼ一方的に日本のアニメと格闘技のことを喋るだけで正直ちょっと対応に困る時もある。

以前ネパールに旅行したときに何人か友だちが出来た。現在ネパールでは内乱に近い政変が起こり市民に死傷者も出ているようだが、友だちのラジェンやディペンドラはどうしているか心配で外国で起きたどうでもいい政変には思えない。
同じようにもしリオになにか大きな災害が起きたら私はきっとSuperBruno君の事が心配になるだろう。SKYPEではまだ北朝鮮の人と話したことはないけど(というか現在の北朝鮮で一般人がSKYPEを利用出来る状況はまずないだろうけど)、もし北朝鮮の人と話が出来てその人の生活を想像できるようになったら、北朝鮮での出来事に対する見方が少し変わるかも知れない。

もちろんインターネットは為政者や資本家の意志にコントロールされかねない危ういメディアであるとも思うし、自由なネット環境に恵まれているのは世界のほんの一部の人々でしかないことも知っている。P2Pから受ける私の開放感はナイーブ過ぎる感じ方かもしれない。
でも世界中の行きずりの人と世間話が出来る時代がやってきたことは、ちょっとした希望を持つには充分刺激的すぎる出来事なのではないだろうか。

ちなみにエントリータイトルの「笛の吹き方の通信教育」、SKYPEで笛の吹き方の通信教育を受けませんか、とインド人から最近やたらお誘いがかかるのです...。