パクリとアートとデザインと。

少し前の話題になるけど。

村上隆氏が子供服メーカーを著作権侵害で提訴していた件はメーカーが氏に数千万の和解金を支払うことで和解が成立した。提示された双方の著作物を見る限り誰が見ても類似性が認められるものを商品にして販売した子供服メーカーは愚かだったと言えるし、村上氏のコメントも著作権侵害された著作者として至極まっとうなものだ。
にも関わらず私にはなんだかすっきりしない気分が残るのはなぜだ?

たぶんそれは村上隆氏が「デザイナー」じゃなく「アーティスト」として評されているからだろう。
村上氏の作品が「アート」ではなく最初から「商品」であったら彼のコメントも腑に落ちる。
彼の受けるべき利益(必ずしも金銭のみとは限らないが。)が他者によって損なわれたらそれに抗議するのは当たり前だ。
けれども、「アート」をパクった商品を出したメーカーを当の「アーティスト」が提訴した、ということに何とも言えない違和感が残るのだ。「村上氏は他者の著作物をパクって有名になったくせに、自分の作品をパクられたら裁判、ってどうよ?」みたいな論調が多くのサイトで見られるけど、私が感じるのはそういった違和感ともちょっと違う。

ウォーホルのシルクスクリーンをデッドコピーして売ったらそりゃウォーホルも怒るだろうけど、キャンベルをクノールにしたパチモンをTシャツにプリントして売ってもウォーホルはバカにこそすれ、怒りはせんだろ、と言えば感じはわかって貰えるだろうか。
また仮にウォーホルが自分のキャンベルスープ缶をTシャツにプリントして売ってたとしても、そのクノール缶のパチモンを売ってるTシャツ屋を彼が著作権侵害で訴えたりしたらこれは相当カッコわるいだろ、と表現すればさらに感じが出るかも知れない。

村上氏の作品を単なる「キャラクターデザイン」として見れば凡百の出来だ。
元のモチーフが透けて見えるキャラクターを描くのは二流デザイナーである。(彼の「タイムボカンのキノコ雲」と同じことを商業デザイナーがやれば「パクリ」と非難されるだろう。)
彼の作品が「パクリデザイン」ではなく「アート」として高く評価されたのは描画ではなくそのコンセプトが面白かったからだ。「既存のキャラクターデザイン」を使って「オリジナルなコンセプト」を構築し見せてくれたから評価されたのだ。
それを「オリジナルなキャラクターデザイン」として尊重することを要求し金銭の対価を得てしまった、かのように私には見える。それとも「アート」と「デザイン」に境界を置く私の方が時代遅れなんだろうか?

人と話をしていて私がデザインの仕事をしていると分かると「やっぱりアーティストは違いますねえ。」みたいなことを言われることがある。揶揄されて言われてる場合はさておき、素朴にそう言われた時は「デザインはアートとは違うと思います...。」とちょっと口ごもりながら答えるのだ。