あのころ僕らはアホだった。

我が母校である大阪府立東住吉高等学校のコミュニティをMIXIで見つけたので懐かしさもあり時々のぞかせて貰っているのけど、最近の卒業生らしき若い人々の在学中の思い出話を読むと、今も昔も高校生って同じ様なアホなことをして一喜一憂しているのだなあ、となんだか嬉しくなってしまう。昨今「ゲーム脳」だの「脳内汚染」だのと、アホなオッサンオバハンがアホな動機とアホな理論で若い人々を罵るのが流行っているが、オッサンオバハンのアホは醜いだけだ。若者がアホなのは当たり前、そして純粋で美しい。

東住吉高等学校(略してヒガスミ)の話を人にすると結構面白がられる。自分は母校しか知らないのでそんなものだと思っていたのだけど、客観的に見るとなんだかヘンテコな高校だったようだ。
私が在学していた頃は学生運動も下火になって随分経っていたとはいえ、学生運動に影響を受けた先輩たちの主張の残滓がヒガスミのそこここに残っていた。
それはたとえばグラウンドを大きく占有する野球部は自主廃部されたままであったり、また制服は無く登校は私服だったり、あるいは体育祭や修学旅行(というかテントで自炊の山ごもり一週間)は生徒が半自主的に運営するものであったりした。
もちろん権威主義で抑圧的な教師も結構いたがそれを上回るイイ塩梅の教師が沢山いて、生徒達からはどちらかと言えば教師というより友人として位置づけされている人物が多かったような気がする。また在学中から密かに女生徒と付き合っていて彼女が卒業するやいなや結婚してしまう、というフラチな教師もヒガスミ史では数多く出現していて、私の在学中にも二組そんなカップルが出来て大いに話題になった。(その女生徒の内の一人は私の友人だったのですごく驚いた。)

面白くていまだに印象に残っている教師の言動がある。
前述のように体育祭には教師は殆どタッチせず、準備から当日の進行まで全生徒を四つの組に分けて生徒有志が運営するわけなのだが、その四つの組はそれぞれ「団長」なる人物が統率する。「団長」には立候補した者がなる訳なのだけど、これがなかなか大変な役でまず気前がよくなくてはならない。というのも三ヶ月近くになる体育祭の準備期間の内には夜遅くまで居残って作業しなければならない日が続出するのだけど、そんな時には団長は気前よく差し入れしなければ「ケチな奴」と思われてしまう。さらに体育祭当日には「団長」はなぜかまるで魁!男塾の如き学ランを身につけ裏地に施した龍や虎の刺繍を見せびらかせなければならないのだが、普段学生服で登校する奴など皆無なのだからこの学ランは体育祭一日だけのためのオーダーである。そんなこんなで私が在学当時は「団長」は人徳と共に貯金が二十万円近くある奴でないと立候補出来ないとか言われていた。そんな苦労して「団長」になった者にはどういう役得があるのかというと、体育祭のクライマックスである入場行進にて沢山の生徒が担ぐ御輿の上に仁王立ちして会場を睥睨しつつトラックを一周出来るのだ。そう書くとなんだかすごく前時代的に聞こえるが、普段好き勝手なことをやってる生徒達がなぜか体育祭の期間だけ超体育会系に変身するのだった。
そして体育祭当日、入場行進の準備をしていた私たち三年生のところになにやら不満顔の教師の一人が近づいて来てこう言った。
「お前ら、こんな非民主的な体育祭でええと思っとんのか〜?」
って、それ普通逆ちゃうん?となんだかすごく可笑しかったのだ。(実は先生たちも体育祭に参加したかったのかな?)
普段でも喫茶店で教師とバッティングしたときにはコーヒーをたかったり、駅前の居酒屋で酔っぱらっている教師をしばしば見かけたり、と今思えば実にイイ塩梅の高校だった。

実はヒガスミは今でもヘンテコで、日本の公立高校では唯一落語家や漫才師を養成するコースがあるのだ。生徒が落語の小話を習ってたり太棹の練習をしたりしている。卒業生としてはかなり自慢なのだ。