父が乗っていた船は「震洋」。

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自民党中川秀直政調会長は6日、テレビ朝日の番組で、靖国神社について「国が責任を持つ非宗教法人で、政府がだれを合祀(ごうし)するか決めるという法案を出すという印象を持っている」と述べた。A級戦犯分祀(ぶんし)に向け、靖国神社を非宗教法人化する法案の提出を9月の党総裁選後に検討すべきだとの考えを明らかにしたものだ。

 中川氏は番組後、記者団に対し、靖国神社の「国家護持」を目的に60年代から70年代にかけて自民党が提出した靖国神社法案を例示し、「昔のような法案を出すこともあり得る」と述べた。 (2006年08月06日19時17分 ASAHI-COM)

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なんだか来るとこまで来た、という...。

私の父は今で言うなら高校生の時に特攻隊員に志願した。(というか志願せざるを得なかったようだ。実家に残っている当時の写真の中の父は本当にあどけない少年だ。)台湾の高雄というところで「震洋隊」に配属され訓練していたそうだが、「震洋」というのは自爆攻撃のために250キロ爆雷を搭載したベニヤのモーターボートのことだ。

父が亡くなる直前、当時の記憶も薄れてしまった父のために「震洋隊」についていろいろ調べたことがある。訓練中に誤爆して多くの犠牲者を出し、また出撃しても殆ど戦果を望めなかった「震洋」は端的に言って全くの自殺マシーンにしか過ぎなかった。そんなものに高校生を乗せて自殺する事を強要する口実の一つに使われたのが靖国神社なのだ。

父は出撃せずに敗戦を迎えた。そのおかげで私はここにいてこんなものを書いている。