「美しい国」「希望の国」より「楽しい国」がいいな。

独りものには年末年始の行事にこだわらなければならない理由もさしてなく、また休み明けに仕上げなければならない仕事がいくつか重なったこともあって、新年になったという実感が全然わいてこない。

ともあれ昨年お世話になった方々、今年もお世話になると思います。本年もよろしくお願いいたします。

昨年は「美しい国」なる空疎な言葉に心の底からウンザリしていたのだけど、今年からさらに「将来も尊重すべき日本の伝統、文化、習慣などを国民からインターネットや郵便で募集して美しい国作りに活かすプロジェクト」が始まるらしい。その名も「日本の真髄100選」。
「歌舞伎」とか「相撲」とか「皇室」とかが選ばれたとしてそれでどうすんだ?つーか、尊重すべきものとそうでないものをアンケートなんかで決めて欲しくないよ。その発想が既に貧しすぎて美しくない。

片や大企業の経営者たちが提唱する「希望の国」。つらつらとその提言を眺めてみた。

「予測可能な10年後のあるべき姿を目標として示し、これを確実に実現するために国、地方、企業、国民が取り組むべき具体策」であるらしいが、「国や地方自治体、あるいは国民はこう努力しろ。」ということはあちこちに書いてあるのだけど、自分たち企業はどう努力するべきか、ということが殆ど書かれていないのはどういうわけ?少子化対策に「子育てや家族を大切にする意識を国民の間に高めてゆく」って何それ?家族や子育てを犠牲にしなけりゃ成立しない労働システムにしたのは誰なんだ?また「清貧は尊敬すべき信念の一つであり、倫理性を欠いた際限のない蓄財は、貪欲や拝金主義として退けなければならない。」って...。ばれなきゃ偽装請負や欠陥隠しする奴ら、残業代ゼロ施策に執拗な奴らになんでこんな説教されなくちゃならんのだ?悪い冗談か?

今年の正月は実家に来ていた幼い甥や姪と他愛ないことを話して時間を過ごした。
なにが美しくてなにが希望なのかはこれからこの子たちが決めるのだ。腐った政治家や商人どもなんかに決められてたまるか。