「人妻はカラダを褒めろ!」はセクハラか?

陰謀論に近づくのはなるべく避けているんだけど、安倍政権にスキャンダルが起きるたびに北朝鮮関係のイベント(ミサイル発射や総連の”犯罪”)がこうも連動するのは流石に裏でなにかあるんじゃないかと勘ぐってしまう。このところネットの一部では「安倍政権が支持率回復のテコ入れに金正日と語らって拉致被害者の返還かなにかを参院選前に一発仕込むだろう。」という陰謀論めいた予測が飛び交っていて、いくらなんでも、と思ってたらこんなソースが。

“北, 日本の拉致被害者7月20日に送還 [デイリーNK/2007-06-30]”

このソースの信頼性は?だけど、もしホントならあまりにあからさま過ぎるよなあ。というか、ほとんど二つの国家による犯罪ではないか。

時事問題はさておき、最近東京の東村山市議会で興味深い事件が起きた。
今年4月の統一地方選挙東村山市議会議員選挙に当選した元風俗誌の記者に対して、他の議員が彼の風俗誌勤務時代の仕事内容やそれに伴う言動を取り上げ「セクハラだ!」と糾弾し、市長に対して「人権侵害等申出書」「辞職勧告請願」を提出したのだ。現在は議会でその扱いが進行中である。下記リンクは申出書や請願を出した人々とそれに抗議する人々の双方の言い分。(糾弾されている当人は議会での扱いが決まるまで現在自発的に発言を控えている。

東村山市民新聞

職業差別は許しません!

これはわたしから見れば単に無自覚な職業差別にしか見えないのだけど、そう簡単に断ずることが出来ない問題を秘めてるようにも思える。というのはわたしには彼女たちの言い分に首肯する人々の姿が容易に想像できるからだ。元風俗誌記者が過去に出演した風俗案内番組での彼のキャラクターを知ればこれを読んでる人の中にも眉を顰める方がいるに違いない。(風俗誌記者時代かの議員は「女体盛りは食い散らかしてよし!」「人妻はカラダを褒めろ!」などと風俗案内サイト内で視聴者にアドバイスしてたりした。)

風俗誌記者が風俗産業の顧客としての心得やお得な情報を興味を持てるやり方で読者や視聴者に伝えようとするのは職業倫理として至極まっとうな事だと思うのだけど、ことがセックスに絡んだとたん「不真面目」「公序良俗に反する」の烙印が押されるのはどういうことだ?特に近年わが国では近代主義的なセックス観に対するいわゆるバックラッシュがものすごく強くなっている、という状況でもある。なかんずく、狂信的な純潔思想を持つ統一教会と親和性の強い政治家が国家の中枢を占めるようになった今は教育や行政の現場にまで「セックスは考えるものではなく隠すもの。男は猛々しく。女は貞淑に。」な人々が口を出すようになってきているだけに、わたしは余計にセックスのことを深く考えるようになった。

セックスを話題にすることをなんでも「下ネタ」として片づけ忌避する方がいる。わたしなぞは「セックスをどう考えているか」はその人の人生観や人間観を如実に表す話題だと思うがゆえに他者とセックス観について意見を交わすことが大好きなわけで、往々にしてそういう人々から「なんでも下ネタにつなげるお下品野郎」と烙印を押され軽蔑されてたりするが、そういう方々こそ「”性”について語ること」と「”性行為’について語ること」の区別が付かないスケベな人間なんじゃないかな。

追記:
ところでわたしはこの歳になるまで風俗産業の顧客になることなく来てしまった。別に道徳的な価値基準で忌避して来たというわけでなく、というか人一倍妄想が脳内を占める割合が高いのになぜ無縁だったかというとただ単に興味が無かったからだ。そもそも友だちでもない初対面の異性にちんちんやおしりを出して見せる勇気をわたしは持っていない。
にもかかわらず風俗、いわゆるセックス産業のことをよく考えてしまう。というのは、現在のようにセックス産業の従事者に外的要因でやむなくその仕事に就くような人も少なからずいるような状況でなく全くの自由意志で就業を選択できるとしたら、果たしてセックスの売買は罪悪か?ということに頭を悩ますのだ。下世話な表現だけど、お金を支払って凝った肩をマッサージしてもらいスッキリするのとお金を支払って性器をマッサージしてもらい高じた性欲を解消して貰うのではどう違うのか?心情的にはなんだか違うのだけど、論理的にどう違うのか上手く自分に説明出来ないのがもどかしい。