全ての感情は等価である。

なぜブログを書きつづってるかというともちろん第一には自己顕示欲からだけど、もうひとつは潜在的お仕事発注者に「わたしはこういうスタンスで仕事してますよ。気に入ったらお仕事くださいね!」と広報する意味もある。そしてさらに大きな理由のひとつが「「知」を学べる人々とつながっていたい、ということだ。

これは他のところにも書いたことになるけど、政治や経済あるいは歴史などの社会的なひとの営みについて考えたり他者と議論する時は「知」を持って当たるべきだと私は考えている。誤解を恐れずに言えば、個人の「情」の質や量を比べることなど出来ないが「知」の質や量は比べることが出来るからだ。言い換えれば「知の誠実さ」という言葉は成り立っても「情の誠実さ」という言葉は成り立たない。全ての感情はある意味「誠実」で「等価」であるからだ。

自分の知識ではカバーし切れない問題に関して言及するとき、私は既にその問題を考えている人の力を借りる。その人に信頼を置くかどうかはその人の知識の量もさることながら「知に誠実」であるかどうかだ。その人の「情」に共感できるかどうかではない。右翼であろうが左翼であろうが「知に誠実」であろうとする人を信頼し、「知」と「情」を取り混ぜてほどほどのところで落としどころを付ける人を私は信頼しない。そして議論の対立する問題で自分の立ち位置を明確にする必要に迫られたとき、私はその時の自分の感情よりも「知」に誠実でありたいと思っている。

ネットというものが無かった頃は「知に誠実」な人に接するには自分の周囲に探せなければ主に書物に頼るしか無かった。もちろん書物をひもとき先人の「知」に触れるのは幸せなことだけど、ネットの世界に乗り出してから市井には私など及びもつかない「知に誠実」な人々がいくらでもおり、そして自分が望めば実に簡単にそういう人々に接することが出来ることを知った。だからネットやブログは私にとって音楽や映像の楽しさを語り合うサロンであると同時に「知の誠実さ」を学ぶ場所の一つでもある。