いいんだぜ。

とある人に教えていただいた中島らもの「いいんだぜ」という唄。
中島らもってひと、なんだか斜に構えた印象があってあまり好きじゃなかったんだけど実はなかなか腹の据わった人だったのですね。

いわゆる「差別用語」。
わたしは差別を再生産させる言葉は使うべきではないと思っているが、差別が再生産されるかどうかは言葉そのものにではなく使う人間にあるはずだ。
その言葉にネガティブな意味を込めて使う時とそうじゃないときでは同じ言葉でも違う意味を持つ。わたしは人それぞれが自分で使う言葉を吟味して自分で判断していくべきだと思っているが、いつの間にか放送メディアの作った基準に人々は自分の判断を預けるようになってしまった。「今のはピーやな。」とか「それ放送禁止用語やで。」とか。

何かおかしくはないかい?
私達は思考停止した放送メディアが作る基準に従うのではなくて私達の言葉を取り返すべきだ。
わたしだって片足をくじいたら「びっこをひく」し、何かに動転したら「気が違った」ようになるしそういう言葉を使うこともある。だけどそれは「びっこのくせに」とか「気違いのくせに」などと発言する人間を免罪することではないはずだ。
使うか使わないかはテレビ局が決めるんじゃない。自分の頭で考えなけりゃ。

こっちのバージョンは例の”ピー”で「めくら」「ちんば」「つんぼ」「かたわ」が消されてる。どう感じるか聞き比べてみてください。

by sivaprod | 2008-02-07 02:42 | 聴く | Trackback | Comments(9)
Commented by yas at 2008-02-07 16:03 x
米国のブルースでは自ら Cripple○○○○とかBlind Boys of○○○○などと芸名やグループ名を名乗っているのをよく目にしますが、日本ではそういう人はいませんね。痛風になった知人に会ったとき「びっこひいてどうしたん?」といいましたが、それをネット上に書こうとすると、「差別的な表現だ、不謹慎だ」と頭ごなしにいう人がいるので、どうしても躊躇してしまうことがあります。
ちょっと違うかもしれませんが、最近話題になった幸田來未の暴言騒動にも同様のものをかんじます。自分のマネージャーに言ったことを、放送で言ってしまったことは問題かもしれませんが、香田來未が言った相手は自らの知人なんですからね。

最近、こういうのを見ました。「買物ヴギ 笠置シヅ子」です。「つんぼ」「めくら」と歌っています。現在入手できるCDの2つのオリジナルバージョン
(1950、1955年録音)では上記の映像の後半3分以降の「つんぼ」「めくら」が、カットされているそうです。
http://jp.youtube.com/watch?v=N_043fnhTdk&eurl

Commented by sivaprod at 2008-02-07 20:19 x
>yasさん

差別は常に強者が弱者に対して行うことであり自らの強者性を自覚することが一番大切なことだと思います。結局自らが発した言葉を自分がどう引き受けていくのか、という覚悟だと思っています。

でもそれ以前に弱者が付けられたレッテルを自ら逆手に取ってレジスタンスすることをも遮断して思考停止してるのが今のマスメディアやそれを支える私たちなのではないでしょうか。

笠置シズ子さんのCDアルバムを買ったんですがやっぱり買い物ブギはそこがカットされてました。それも音をかぶせるんではなくてちょん切って巧くつないであります。過去がなかったことにされてました。

Commented by argon at 2008-02-08 02:06 x
はじめまして。argonと申します。

いつか私のブログで、みつくちという言葉を用いなければならなかったことがあり、みつくちは差別用語だ、自分の子供がそうだから是非とも口蓋裂という言葉に書き換えてほしいという方からコメントがありました。その方の剣幕があまりに凄かったので、いわれる通り口蓋裂という表記に変えました。
口蓋裂や口唇裂の方が遙かに残酷でものものしい字面や響きだと思ったので、わざわざ私は当たりがよくてやさしげなみつくちという表記を用いたつもりだったのですが。
そもそも、みつくちという言葉、その語源さえ3つの口なのかなあということぐらいしか私には思い浮かばなく、むしろ蜜のように甘い口という連想さえ引き起こすほどで、たとえ3つの口であったところで、それがどうして差別的表現として受け取られるのか、いまだに腑に落ちないでいるのです。だとすれば、二枚舌、多重人格なども差別用語になるのでは、などと思ったりもしているのですが。

Commented by sivaprod at 2008-02-08 14:01 x
>argonさん

こちらこそ初めまして。そしていらっしゃいませ。

言葉って受け取る人によって意味が変わってきますよね。
被抑圧者をネガティブに表現する単語でも当事者によっては深く傷ついたり全く平気だったりします。絶対的な差別用語などというものがあるわけではないと思うのです。

一人でも傷つく人がいる限りその言葉を発するべきではないと考えその言葉を封印してしまうのも、あるいは自分の表現にはこの言葉を欠かすわけにはいかないのだと考え覚悟をもって使っていくこともどちらのあり方も間違ってはいないと思います。ただいずれにしてもそれによって起こることは自分が引き受けるべきだと思うのです。言い換えれば誰かを傷つける可能性のあることをするには自分が傷つくことをも引き受ける覚悟がいるのではないか、ということです。一番情けないのはその基準をテレビや新聞などの他者に預けてしまい自分の責任を放棄することではないでしょうか。

Commented by sivaprod at 2008-02-08 14:01 x
>argonさん

時にargonさんのブログ拝見いたしました。
ヨーロッパにもお遍路さんのような巡礼の旅があるのですね。どれだけの人々の祈りが込められた道なのか。絵画のような写真の数々に感銘を受けました。私も死ぬまでに一度遍路道をたどってみたいと思っています。

Commented by argon at 2008-02-09 22:59 x
sivaprodさま。
拙ブログにお越し頂き、有り難うございました。
あそこでも書きましたが、道中、都市計画の仕事をされていたドイツ人の方と行動を共にしたことがあるのですが、職業上、我々は兄弟のようなものだとその方は言っていました。そのでんでいけば、sivaprodさんと私も兄弟のようなものです。
Commented by 神保町春画製作所R at 2008-02-10 02:37 x
 以前「鬼畜系」という言葉が流行ったころ、これみよがしにその手の言葉を使って露悪を気どる人たちがいました。ああ、本当にお馬鹿さんだなあ、と思いました。

 らもファンの私なので、『いいんだぜ』は以前から知っていました。しかしこれもまた一種の露悪趣味を感じてしまうので、個人的にはあまり好きではありません。かといってピー音で言葉を消すのは、『いいんだぜ』以上に悪趣味だと感じます。

 関係ない話ですけど、中島らもの晩年の、あまりにも無惨な仕事を見るにつけ「ああ、過度の飲酒やドラッグは、健康ばかりか才能まで損なうんだなあ」と強く思います。

Commented by sivaprod at 2008-02-11 15:31 x
>argonさん
>兄弟のようなものです。

argonさんの長い旅の道程、ぼちぼち追いかけさせていただこうと思います。よろしくお願いします。

Commented by sivaprod at 2008-02-11 15:45 x
>神保町さん

唐沢氏や村崎氏みたいな言外にエクスキューズの入った露悪発言はみっともなく見えます。ましてなにも考えてないその追随者達のアホさ加減にはうんざりさせられますね。(最近ではバカラッパーども!)

たしかに中島氏の「いいんだぜ」にはあざとさを感じますが、出来れば多くの人に音消ししたものとそうでないものを比べてみて欲しいですね。消そうと消すまいと居心地が悪いのですが、その居心地の悪さの違いはなんなんだろうと。

>中島らもの晩年の、あまりにも無惨な仕事
わたしは作家になってからの彼の著作にはあんまり感心がなかったのですが、そうだったのですか。ほとんどアル中やったもんねえ...。

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