モサエブはサウナでコーランを詠む。


 なにやら憑きものが落ちたような具合だが。例の国籍法改正騒動。

 この騒動を通じて露わにされてしまったのは、わたしたちの「他者観」だったのではないか。それは「他者」が自分と同じように生活をし、また同じように悲しみに涙し喜びに宴する存在であると想像できる能力を持っているかどうかということだ。「外国人」にも家族や暮らしがあり、人を好きになったり別れを悲しんだりしてる存在であると想像出来るかどうか。差別的言辞を垂れ流すことを「愛国的」と讃える人々の姿を眺めていると絶望的な気分になりかねないけど、わたしは実はもう少し楽天的な気分でもある。

 少し以前にサタケ秀介という人が歌う「モサエブ」という唄を知りそれがとても気に入って今でも時々聴いている。歌われている風景にはこの国の市井の人々の心の国境は意外にゆるいんじゃないかなと思わせてくれる力がある。そして同じような風景は歌にこそ歌われていなくともこの国のあちこちで繰り広げられているに違いない。新しく隣人となった「モサちゃん」に困惑しながらも彼の家族に思いを馳せ彼と酒を酌み交わしている人々の姿を想像すると、なんだかこの国の人々をもう少し信用してもいいんじゃないかという気になってくるのだった。