最終兵器、加藤嘉。


 わたくし死期の迫った恋人やいたいけな子供が登場する映画にはどちらかと言えば「けっ!」とか偽悪的なリアクションを取ってしまうのだけど、しょんぼりしたオヤジやジジイが出てくると途端に涙腺がゆるくなる質でして。幼少のみぎりに見た「自転車泥棒」という古いイタリア映画での父親の姿(幼い息子の前で最初から最後までずっとしょんぼりしてるという...)のあまりの哀しさに涙滂沱流るる思いをして以来ずっと「しょんぼりオヤジ映画」遍歴を重ねて来た訳です。

 たとえば邦画なら「生きる」の志村喬や「鬼畜」の緒方拳、ちょっとマイナーになるけど「サラリーマン物語」のハナ肇など、彼らのその侘びしい後ろ姿観てるだけで至福の境地。洋画ではあれ、ほらなんて映画だったっけ、教師がダンサーに惚れて身を持ち崩していくやつ(くそ、思い出せない)。あるいは「チャンス」のピーター・セラーズ、冒頭のシーンでのしょんぼりも良かったなあ。新しいとこでは「アバウト・シュミット」でジャック・ニコルスンが最後泣き崩れるとこなんか侘びしすぎてもうガマン出来ない!

 かように「しょんぼりオヤジ映画」遍歴を重ねていた訳ですが、つい最近「しょんぼりオヤジ映画」最終兵器を入手してしまいました。その名も「ふるさと」。

 ダムに沈む山間の村を舞台に妻に先立たれ認知症が始まりかけた老人とその老人に懐く近所の少年との心の交流、そしてその周囲の人々の人間模様を描く、といういかにも文部省推薦的なクサーイストーリー仕立ての映画で、いつものわたしなら「けっ!」と一瞥してもっと濃いーい映画を探しにかかるのだが。

 もうね、加藤嘉やばすぎ。なんというか冒頭出てきただけですでにわたくし目がうるうる。夕方のバス停にしょんぼり座ってるだけで目がうるうる。夜大声をあげる老人に疲れ果てた息子が離れを建てて体よく母屋から引き離すのだが、追い出す気かと息子と激しい言い争いのあげく嫁になだめられ「おらもちと言い過ぎたの...。せがれに嫌われたらおらも生きていけんけのぉ...。」としょんぼり離れに帰っていく後ろ姿で第一のピークがやってきて、あとは視界がぼやけっぱなしのいわば別の意味でジェットコースタームービー。一生懸命「この人は役者さんで実際は瀟洒な家に若い奥さんと暮らす洒脱な人なんだ。」と自分に言い聞かせるも無駄な抵抗。

 「砂の器」の本浦千代吉もかなり強力だけど、あれはたとえば番頭はんと丁稚どんみたいなヅラ、とか息継ぎをするとこをまだかろうじて見つけられた。だけどこの「ふるさと」での加藤嘉は完璧すぎて息継ぎするヒマも無し!この映画での加藤嘉を観て落涙せん奴は人間じゃねえ!普段偽悪的なことを言っては悦にいる友人知人に見せまくってだばだば涙を流させ、それを指摘しながら「なんやかんや言ってもお前にも暖かい血が流れているんやなあ...。」とものすごくイヤがられそうなツッコミをしたくなる映画。

 こんなすごい映画、というかすごい加藤嘉をなんでDVD化せんかなあ。もっとも加藤嘉がすごすぎて映画の本来のテーマがなんだったのかわかんなくなってしまうのが欠点なのだが。