「消費での自己実現」幻想の共犯者

発熱治まらず。

興味深い小文を見つけた。宮代真司氏の「仕事での自己実現」と「消費での自己実現」しかないという思い込みをやめよという一文である。
非常に乱暴に要約すると、「仕事での自己実現」という幻想を信じて競争に参加するあらかじめ敗北を約束された若者たちの失意と落胆を軽減させるために資本によって用意されているのが、ブランド物やハイテク製品などの購入による「消費での自己実現」という幻想である、ということだ。
後半の文章では、近年の我が国はエリートによる「仕事での自己実現」か、あるいはノンエリートによる「消費での自己実現」以外の生き方が存在しないシステムに人々が退屈して抑鬱的気分が蔓延する社会になっており、そこから脱却するにはどうすればいいのか、といった展開になっている。

宮代氏の分析は少々大雑把なモデライズに思えるが、それはさておき商業デザインという作為は「消費での自己実現」という幻想の構築に大きく関わってくることでもある。
いわばデザイナーは「消費での自己実現」という幻想構築の共犯者である。
それら幻想の是非は個々のデザイナーが自分で考えて判断することであると思うが、いずれにせよデザインという作為の「共犯性」を意識しないでいることは、既にデザインするという行為を放棄しているに等しいとわたしは考える。

誰のためのデザインか?何のためのデザインか?
デザインという行為を何のためにしているのかという問いかけを自分にしないデザイナーはデザインという仕事に携わる資格が無いと考えている。