エロゲーバッシング

漫画家であり市民活動家でありはたまた塾講師でもあるカマヤン氏のカマヤンの虚業日記にてなかなか面白いコピペを見た。
もっとも原文ではなくカマヤン氏によって多少加筆されている。

↓ここから引用
マンガやゲームなどへの規制論は、「『(規制論者が主張する)問題』は実際には発生してない(し、対処法が不明な)のに、規制案だけやたら具体的」である。

1−1;青少年の犯罪率は増えていない。それどころか減少している。

1−2;凶悪犯罪の発生率も減っている。

1−3;だから「最近の青少年犯罪の原因は、刺激的なメディアではないか」という仮定自体が成立しない。

1−4;米国では1950年代にコミック、60年代にTVの暴力・性表現に対し、大がかりな規制を実施したが犯罪率低下には繋がらなかった。

1−5;「暴力シーンを見せると犯罪率が上昇する」、という仮説は証明されてない。
以上をまとめると、まず「青少年犯罪問題」自体が実は存在していない。次にその原因がTV、マンガ、ゲームやアニメという証拠もない。だから規制する意味がない。おまけに昔規制した米国での教訓より、そんな規制をしてもムダ、という結論だけは出ている。

2−1;「有害」と騒がれるモノには、以下の三種類がある。

A:「有害である」と科学的に証明されているモノ。たとえば毒物など。

B:そのものや行為自体には有害性はないけど、扱いによって有害な作用が起きうるモ  
ノ。たとえばパチンコなどのギャンブルなど。

C:有害ではないが「不快感」を与える(可能性のある)モノ。たとえば過激な性表現のマンガや過剰に暴力的なゲームなど。

2−2;「規制」が必要なのはAの有害なモノ。Bはメディアでの取り扱いに配慮が必要。Cは受け取る側の個人の問題。

2−3;もしCに規制をかけるべきだというのなら、同じく「不快を与える(可能性のある)モノ」にも規制をかけるべきだというのか? たとえば「大阪弁」「クリスマスやバレンタインにいちゃいちゃする男女」「ワキガやチビ・ハゲ・デブ」などを?

2−4;Cへの規制は、Aのように有害性が証明されているものより遥かに緩やかであるべきで、Bよりもさらに緩いのが順当である。

↑ここまで

為政者たちによってバッシングされているものって、どれも「有害」だからではなく彼らにとって「不愉快」だからなんですね。エロゲーしかり、性教育しかり。
本当に有害なもの、たとえアスベストは欧米では90年代に全面禁止になっていたのに、我が国では92年に提出された規制法案が自民党の反対で審議さえ出来ず廃案になったのだが、同じ政党が一方ではエロゲー性教育の規制に熱心なのはなんかおかしくはないかい?