野茂のこと。

わたしは野球というジャンルのスポーツには殆ど興味がない。
なのにアメリカに野球を見に行ったことがある。
随分以前の話になる。
当時近鉄バファローズにいた野茂がドジャースに移籍した直後のことだ。

フリーランスのデザイナーとして独立した当初、お金がないこともありフリーランス仲間三人でオフィスをシェアしていたのだが、そのなかの一人が現在プランナーをしている高校時代からの友人だった。
仕事もそれなりに順調にこなしいささか単調な日々が続くようになった頃、その彼が仕事を休んでアメリカに一年ほど留学すると言い出した。
そのための下見に何日かの予定で渡米する、ついでに野茂の投げるところも見に行くと言う。なんだか面白そうなのでわたしもついていくことにしたのだ。

ロサンジェルスに到着後観光もそこそこに(といっても観光などなにもせずにスーパーやデパートばっかり見物していたのだが)ドジャース・スタジアムに二人で出かけた。
記憶があやふやだが、たしかシカゴ・カブスとのカードだったと思う。
残念ながら当日の試合では野茂はベンチから出ることなく終わったのだが、とても満足した一夜だった。
なぜなら初めて観戦するメジャーリーグの試合の迫力もさることながら、球場で醸し出される雰囲気すべてがわたしにはものすごく気持ちよかったからだ。いわばドジャース・スタジアムに漂っている「野球を観る」ということへの人々の幸福感に共振した、という感じだったのだ。

友人が始めに連れていってくれたのがドジャース・スタジアムだったのが良かったような気がする。
カンカン帽にブレザーの球場係員や赤錆た鉄骨むき出しの暗いスタンド裏通路、いいコントロールで客に投げ売りするピーナッツ売りの爺さんなど、きっと球場で見かけた子供たちのパパやグランパが子供だった時代から変わらない景色なのだ。
私を野球に連れてって」の合唱が何十年にも渡ってスタジアムに響き渡ってきたのだろう、その日の「私を野球に連れてって」もみんな本当に楽しそうに歌っていた。

試合終了後幸せな気分で帰路につこうとしたとき、バックスクリーンになにかが映り出し始めた。過去の同じ日に達成された記録や、その日になんらかの関わりのある選手などの映像である。観客が一度に駐車場に殺到するのを防ぐためのちょっした工夫なのだが、大勢の人々が佇んでバックスクリーンを眺めている風景を見て、恥ずかしい話だがわたしはちょっと鼻の奥がツンと来てしまった。

子供の頃、父親が日生球場近鉄バファローズと阪急ブレーブスの試合を観に連れていってくれたことがある。
当時のパ・リーグの試合は、というか今でもそうだが客入りははかばかしくなく、ラッパや太鼓の音も聞こえないのんびりしたムードだった。
その日はデイゲームだったかナイターだったかの記憶も定かではないのだが、頬をなでていく風の気持ちよさと周りの人々のくつろいだ雰囲気はかすかに記憶に残っている。

初めて観たメジャー・リーグの野球は、わたしの友人が彼のブログでも書いているように、わたしが子供の時に見たパ・リーグの試合のような「大いなる草野球」のにおいを醸し出していた。プロの選手が素晴らしい施設でプロの試合を見せてくれるのだが、漂うリラックスした空気はラッパや太鼓を鳴らす応援団によるものではなく、家族やカップル、友だち連れによるものだ。

その夜はドジャースが勝った。
カブスの帽子をかぶった一人の男の子が悔しさのあまりべそをかきだし、父親らしき人がそれを一生懸命なだめている。
わたしと友人はグローブを持ったアメリカのガキどもに混じりながら球場裏の選手用出口から野茂選手が出てくるのを待つのであった。

数日間のアメリカ滞在は野球見物以外のあれこれも大変刺激的だったのだが、それはまたいつか。