グッドデザイン賞の思ひ出。

10月25日にグッドデザイン大賞が選定される。
にも関わらずデザイナー仲間の話題にあまり上ることがないのはなぜだろう。

わたしのデザインした製品が初めてグッドデザイン賞に選定されたのは随分昔のことだ。
最初に就職したところが主に家庭日用品の企画を手がけるデザイン事務所だったので、駆け出しのころはアルミ鍋に印刷する花柄のデザインや家庭用ゴミ袋にテディベアのイラストを付ける企画など、なかなかファンキーな仕事に追われていた。
仕事そのものはなんでも初めての経験なのでとても面白かったが、キャラクターものというのはグッドデザイン選定からはいささか距離のある、というよりもどちらかというと極北の位置にある商品群である。先輩デザイナーの手がけたシンプルな製品群がグッドデザインに選定されるのを横目で見ながら、いかにクマちゃんがカワイらしく見えるかに腐心するのだった。

そんなこんなでデザイナーとして働き3年ほど経っただろうか、その頃わたしが担当した企画ではかなり大きい仕事だった樹脂製ゴミ箱とバケツの製品群がグッドデザイン賞に選定された。
あまり賞というものに縁の無かったわたしは大変嬉しかったが、それ以上に、それまで「ゴミ箱なんかどこデザインするねん?」と懐疑的な目でわたしの仕事を見ていた父親に対して、ちょっと見返した気分になれたのが嬉しかったのを覚えている。
ただ受賞デザイナーの名義がわたしではなくクライアントのデザイン開発室名義になっていたのにはがっかりしたが。

一般の方はご存じないかもしれないが、グッドデザインに選定されるには企業なりデザイナーが申請しなければならない。主催者がマーケットからグッドデザイン賞に相応しい製品をピックアップするわけではないのだ。また国内申請商品の1/2、海外申請商品の2/3がグッドデザインに選定される。意外に広き門である。
さらに意外に思われるかもしれないのが、例の「Gマーク」を使用するには使用料を支払わなければならないことだ。商品に貼られているGマークシールにはなにがしかの使用料が主催者に支払われているのだ。その他にも受賞者が負担しなければいけない金銭が結構あったりする。わたしが担当していたクライアントは中小企業が多かったが、Gマークはあんまりビジネスに寄与しないと申請に消極的なところが多かった。下世話に言うなら「お金かかる割には売り上げに結びつかん」ということだ。

現在のわたしはグッドデザイン賞にはやや懐疑的な立場である。
浜岡原発の制御室が受賞した時にはかなり疑問を感じたし(原発だからダメだというのではない。いびつな構造の上に成り立つ製品に対して無批判であったからだ。)、バイクのハーフタイプヘルメットの受賞などはバイク乗りから見ればあきらかな間違いだ。
良いデザインとは何か、というひとつの見方を消費者に投げかけるというのはとても意義のあることだが、良いデザインというものの定義を次のステップにすすめる時期に来ているのではないだろうか。
かつてビクター・パパネックが提案した、空き缶と針金を使って誰にでも自作出来るラジオの美しさにもう一度目を向けるべきだと思う。