メキシコのレスラーやないんやから。

お盆だから亡父の墓参りに、と母に言われた。が実は父の墓は無い。
それについては、人に話すとウケるので不謹慎ながらつい持ちネタのようになってしまった二年ほど前の父の葬儀の話から始まる。

父が亡くなる直前、葬儀をどうするかを母が私に相談を持ちかけてきた。
キリスト教でお葬式をあげたらどうかとクリスチャンの知人が勧めてくれたのだけど、どうしよう?という。(ちなみに私の家族にクリスチャンは一人もいず、母は朝夕に般若心経を唱えるタイプだ。)その知人は看病に大変な母のことを親身になって色々手助けしてくれ、また母もその方に教会に連れていってもらって牧師の慰めを受けたりしていたので全くキリスト教に縁が無い訳では無いのだけど、それにしてもあまりに唐突ではないか。

どういうことか聞いてみると、長い看病に疲れているので儀礼的で煩わしい仏式の葬儀はイヤだ、という。私も親族の葬儀でさんざん体験したことだが、確かに仏式の葬儀は死者への追慕の念の無い人々が大量に動員され、当事者はそれへの対応にヘトヘトになる。そのクリスチャンの知人はそれを見越して自分の属する教会での葬儀を勧めてくれたようである。さらにその知人は「キリスト教のお葬式はとても安くつく」ことを教えてくれたようだが、それにも母は大きく心を動かされたようだった。

父は坊主や神主には大いに不信感を抱いていた反面、クリスチャンにはわりあい好意的な印象を持っていたようだったし、また私自身あらゆる儀礼が苦手だったので簡素に済ますことの出来るキリスト教式の葬儀に特に異存はなかったが、「世間体」なるものをいたく気にする母はとても迷っていた。そりゃそうだ、亡き祖父や祖母の写真に線香を立ててお供え物をあげてたり般若心経を唱えてたりしてた家でいきなり「アーメン」て。

結局母は父が亡くなったその時もまだ迷ってたので私が決断して教会に連絡した。
早速牧師が駆けつけてくれて式次第の打ち合わせをしたわけだけど、実際に告別式を請け負うのはもちろん葬儀会社である。担当者に来て貰い私が喪主として対応することになった。

やってきた葬儀会社の担当者はごま塩の角刈りでものすごい塩カラ声、まるで「大工の源さん」みたいな容貌の初老の男性で、鯨幕や樒の前でこそぴったりだけど「キリスト教」という響きからは極北にいそうな感じ。話をしてみるとどうもキリスト教式を担当したことが殆どなさそうな気配で頼りないことおびただしい。そもそもキリスト教式の葬儀を、と言って来て貰ったのに手首には数珠を巻いてるし。

といいながらも、とりあえず「通夜」の準備を始めなければならない。(ちなみにいわゆる「通夜」はキリスト教式では「前夜式」と呼ぶのだが、「源さん」は既に混乱して「前夜祭、前夜祭」を連発している。)まずは父の枕頭にセットすべく源さん持参の「前夜式セット」なるものを開梱して中身を点検していったのだが、いきなり白木の式台に白木の十字架が出て来た。なんだかものすごく和風である。
その次に瀬戸物のロウソク立てと花瓶、そしてなぜか線香立てのセット。いずれも仏壇や墓石の前に置くものと同じ形状のものなのだが、これまたなぜかピカピカの銀色にメッキしてあるのだ。それを白木の式台の上に並べながら「源さん」は「この線香立てはどうやって使うんでしょうなあ?」とか言ってる。

最後に大小二枚の黒いサテンの布が出てきた。仏式の通夜では死者の寝具の上にキンピカに刺繍したシーツみたいなものが掛けられていたりするが、大きいのはどうもそれに相当するもののようだ。拡げてみるとなんと布の真ん中に巨大な銀色の十字架が縫いつけられている。さらに良く見るとサテンの布地にはなぜか黒い菊がエンドレスで刺繍されている。「なんかヘンかも」と思いながらそれを父の上に掛け、さらに小さい方の黒いサテンを顔に掛けると父はまるでドラキュラかメキシコの怪奇派レスラーみたいになってしまった。

泣きながらも「前夜式セット」から次々出てくるモノが「なんかヘン」と内心思っていた私と妹は、そこでトドメを刺され顔を見合わせて吹き出してしまった。
こんな和洋折衷のルチャ・リブレのレスラーのマントみたいなもん、製品化する前に「それ、どう見てもヘン」って指摘するヤツおらんかったんかい!

その後も色々トンチキな事が起きるのだけど、長くなりそうなので続きはまた後日。