メキシコのレスラーやないんやから。(その2)

儀礼的な弔問客への対応をしたくないのが簡素なキリスト教式の葬儀を選んだ理由の一つでもあるので、私は当初は家族とごく近しい親族だけで父を見送るつもりでいた。
ところが母が急に日和ってしまい「あそことここには言わなあかんのと違うか?」などと言い出した。そんな事を言いだしたら収拾がつかなくなることは分かっていたが、どうしても、というのでお知らせするのは父のごく近しい人物とご近所では両隣とお向かいだけにとどめていた。

それでもどこで聞きつけたのか「前夜式」に次から次に弔問客がやってくる。
その上キリスト教式での葬儀だと聞いてみんな頭の上に「?」を浮かべている。
「お父さんクリスチャンやったんですか!?全然知りませんでした。」とか、「これご仏前て書いてきてしもてんけど、どないしたら...。」とか、「どうやって拝んだらよろしの?」とか、やってくる人やってくる人が例外なくとまどっているのでいちいち経緯を説明するのが大変である。

さらには「親切」な町内会の方々がやって来て色々取り仕切ってくれようとする。
「うちの駐車場、空けといたから。」とか、「町内に知らせに廻ったるわ。」とか、「奥からお茶碗全部出してきたから持ってくるわ。」とか、はては「市会議員に弔電打ってもらう手配せんと。」とか。
「身内だけで見送るので大げさなことは」とお手伝いを丁寧にお断りしたら、「いやいや、そういうわけにはいかん。」って、誰も頼んでないのに...。
そもそも町内会には町内会員が亡くなった時には速やかに届け出て、町会館にて指定の葬儀業者により規定の規模の葬儀を執り行う、という奇妙な決まりがあったようで、それを無視して「勝手に」葬儀を進めていたので町内会のエライさんは「そういうわけにはいかんのだけど...。」と釈然としない顔をしている。(あやうく「葬儀委員長」の選定まで勝手にされそうになったこっちの方が釈然とせんのだが。)あるいは警察官だった父の元同僚達が警察葬の話などを持ち出してくる。しまいには面倒臭くなったので全て「これは生前の父の遺志でして...。」で済ませてしまった。

キリスト教の「前夜式」はあっさりしたもので、牧師が来てくれて聖書の一節を読み、みんなで賛美歌を歌うだけである。特に一晩中起きている必要はないのだけど、年寄り方は「夜とぎの線香は焚かんでいいのか?」などとまた頭の上に「?」を浮かべている。後で聞くとさすがに線香を焚くのはヘンなので替わりにロウソクの火を絶やさないようにしたそうだが、次から次に燃え尽きるロウソクを替えるのに大変だったようだ。

翌日、業者が持って来たやはり菊の模様入りの黒いサテンを張った棺に父を納め、自宅から歩いて10分くらいの教会で行う告別式のために自宅から出棺したわけだが、またまた年寄り方が「今日は友引だ。」とか騒ぎ出した。私が「キリスト教には友引なんか無いし、元々仏教にも無い迷信なんだから。」と言っても無駄である。
みんなでやいのやいの言ってると、「源さん」が「そういうときにはこういう物がありますから。」となにやら人形のようなものを取り出した。なんでも「友引人形」というらしく、死者に引っぱられる友人の代わりに冥土に行ってくれるらしい。よく見ると稚拙な縫いぐるみにご丁寧に経帷子が着せてあり、額には例の三角形の布まで縫いつけてある。
年寄り方は大いに安堵したわけだが、私と妹は棺の中で父と並んで横たわっている「友引人形」に笑いを殺すのが大変だった。

教会での告別式は「召天式」と呼ばれ、やはり牧師の説話と聖書の朗読、そして賛美歌を2曲ほど斉唱して後は各人献花して終わる。仏式に比べて時間も短くいたって簡素なものである。終わりを告げられた参列者が「え?これで終わり?」みたいに物足りなさそうな顔をして帰っていった。

告別式が終わると今度は火葬のために親族と牧師が斎場におもむく。
「友引」のせいか巨大な公営斎場にいたのは私たち以外には3〜4組だけで、それぞれの親族に伴っているのは仏教の僧侶だった。
棺を炉に納める前に炉の前で牧師の簡単な説話を聞き、やはり賛美歌を斉唱するのだが、私たちの両隣では僧侶がお経を詠んでいる。牧師と僧侶が並びお経と賛美歌が混じり合ってるシチュエーションがものすごくおかしい。

荼毘が済み父の遺骨を骨壺に納めてようやく一息ついた。
「源さん」はまだ「満中陰が終わるまでは遺影の黒いリボンは外さないでください。」とか「香典返しの手配はどうしましょう?」とかいちいち可笑しいのだけど。

自宅に戻り(玄関に入る前に母が「清めの塩」をみんなに配り出したので私はそこでついにキレてしまったのだった。反省している。)とりあえずみんなでボンヤリしていると、母が懲りずに「初七日とか四十九日はどうなんねんやろ?」などと難問を持ちかけてくる。

まだまだ騒動は続くのであった。