KONONO No.1の音楽と木曾節の違いって何?

「かわちながの世界民族音楽祭」、ネット上で評価が大きく分かれているのが面白い。
大絶賛するひと。いまいちだったというひと。最悪だったというひと。
私も二日間の内には「ん?」と思うことがいくつかあったが、それも含めて大変面白かった。
なぜなら予定調和ではない出来事が沢山あったからだ。

アフリカ人のノリノリグルーブを期待していた人はいわゆるステージ・アクションもなく不機嫌な顔で直立不動のまま指先だけ動かしてるKONONOのメンバーにとまどっただろうし、アフターステージセッションを楽しみにしていた人はデタラメでセッションとして成り立ってさえいなかったことに失望しただろうと思う。

音楽は「娯楽」である時もあるし、そうで無い時もある。
音楽を演ずる人が「エンターテイナー」である時もあるし、そうで無い時もある。
たとえば正調木曾節にグルーブを感じてノリノリになれる人が大勢いてライブが開催されたとしても、聴衆は演者にステージでの愛想を期待することなどなく、また他のジャンルの音楽とのセッションなども思いつかないだろう。

「娯楽」として満足したいのか?「音楽」を感じたいのか?
「娯楽」と「音楽」は対立する概念ではないのはもちろんわかっているつもりだけど、先日のKONONO No.1の来日公演はそんなことを突きつけられたような気がして私には大変面白かった。

追記:
「娯楽」としか書きようがないのだが、ニュアンスとしては「コンテンツ」と言った方がいいかも知れない。