良いデザイナーとダメなデザイナーの見分け方。

先日とある団体よりセミナー講師の任を受けておこがましくも大勢の方々の前で喋らせていただいた。
セミナーの主な目的は、デザイナーの導入経験のない企業のために費用の見積もり方や依頼の仕方等の具体的な事例を解説しつつデザイン導入の意義をお話する、というものだ。

デザイン実務のあれこれを喋るだけでは私もつまらないので、「デザイナーをやる気にさせるには?」とか「良いデザイナーとダメなデザイナーの見分け方は?」などとベタなことを好きなように喋らせていただいたのだけど、私はコテコテの大阪弁しか操れない上にデザインという仕事は華やかに見えるけど実はちっとも儲からない地味な仕事なんだということをやたら強調してしまったので、デザイナーという人種に幻想を抱いていた受講者がいたなら申し訳ないことをした。

デザイナーの方々に「デザイナーをやる気にさせるには?」を聞くとほぼ同じような答えが返ってくると思うが、「良いデザイナーとは?」となると千差万別の考え方があると思う。セミナーで話した「良いデザイナーとダメなデザイナーの見分け方」を自戒の意味もこめてここにも書いてみる。

・好奇心があるかどうか?
情報感度の鋭さ・新鮮さにかかわること。意外に新しい出来事に関心の無いデザイナーって多いのだ。特にインハウスの工業デザイナーに多いような気がするが。中には音楽ライブや映画に興味の無いデザイナーも居たりする。アニエスb.を知らない工業デザイナーだっていた。信じられないが本当だ。

・複数のコミュニティに属しているかどうか?
視野の広さ・視野の角度にかかわること。いつも同じ世代の友人達と同じような店で酒呑んでるようなデザイナーに仕事を頼んではイケマセン。またわたしはデザイナーなのにフェミニストでない人はデザイナーじゃないぐらいに思ってる。

・疑り深いかどうか?
冷徹な分析能力の有無にかかわること。特にマーケティングの現場をつぶさに目撃する職業にもかかわらず昨今のメディアに対して懐疑心の無いデザイナーは致命的だ。

・「暮らし」にどう関わっているか?
生活者(消費者)としての視点の有無にかかわること。以前も書いたが、昔出席した企画会議で洗濯ばさみの諸機能について侃々諤々の議論になった時にふと思いついて出席者に尋ねたところ自分で洗濯する人が私を除いて誰も居なかったので愕然としたことがある。

・仕事とどう関わっているか?
当事者性の有無にかかわること。少し判りにくいかもしれないけど、ベタにいえば自分のデザインしたものを自分が使う、あるいは自分の大切な人に使って貰いたいと思えるかどうかだ。
かなり以前、デザイン関係者が集まるBBSにニッサンのチーフデザイナーが入って来た時のこと。彼がまずはじめに自己紹介で書き込んだのは自分がイギリスのビンテージカーのオーナーだということであり自分がデザインしている車のことでは無かった。私はそれで当時のニッサンの車がダメな理由の一つがわかったが、確かにその頃は初代ステージアやパルサーのセダンなどのどうしようも無い車ばかり作っていたのだった。(今のニッサンが”どうしようもある”かどうかはまた別の話だけど。)

知人のデザイナーには自分のデザインしたものなど少しも欲しくない、という人もいる。
また「こんなん誰が買うんや?」とその商品の揶揄をしながら仕事を受ける人もいる。
プロに徹するなら自分の欲しくないものにもベストを尽くす、あるいはどんな製品であっても他のデザイナーがヘタなデザインするなら自分がやった方がマシ、というのもひとつの考え方かも知れない。

でも私は自分が消費者なら「思い」の伝わってくるものを選びたい。