北村大沢楽隊。

オフノートというレーベルのサイトに掲載されていたジャケットに興味を惹かれ注文。
届いたので早速プレーヤーにかけてみる。

リズムはふらふら。メロディもぐだぐだ。時々間違えたりフライングしたりしてる。
そう、とんでもなくヘタクソ。とんでもなく適当。とても「鑑賞」に堪える音とは言えない。上記サイトの惹句、「過激ニシテ愛嬌」も「最古かつ最強」も大嘘だ。

なのになのに。
なぜか聴いていると鼻の奥が熱くなってくる。
「感動」なんかじゃない。
「郷愁」とも少し違う。

なんと言ったらいいのか。
私たちが何を奪われてきたか、あるいは捨ててきたか、ということを思い知らさせられるような音。音楽が特別な人々のものじゃなくまたお金を払わなければ手に入らないものでもない、という当たり前のことが当たり前じゃなくなった時間や場所に生きている悔しさ寂しさを思い知らされるかのような。

ただそこに「在る」音楽。CDやレコードになるべきじゃない音楽。
実はわたしが気がついていないだけで、すぐそばにもこんな音楽が生きている時や場所があるのかも知れない。

宮城県石巻の「北村大沢楽隊」。
何十年も地元の小学校の運動会で伴奏を続けてきた農民楽隊。自分たちのことを「ミュージシャン」だとか「音楽家」だなんてつゆほども思ってないに違いない。今では平均年齢は70歳を超えるそうだ。