「パロディで逮捕」、誰が一番得をするか?

友人の名前をネットで検索し同姓同名の人物を探しては「おー、お前がこんなとこで店やってるとは知らんかったの〜。」とか「神出鬼没やの〜。」などと面白がる遊びをたまにするのだが、ふと自分の名前でやってみたところWikipediaに私の名前と事務所名が記載されているのが見つかってビックリ、誰が書いたのか。ちょっとウレシイのと同時にちょっと不気味。

でそんなことはどうでもいいのだけど、このところ政治的な基本原則が易々と乗り越えられ、さらにそれがさしてメディアなどで問題視されていないことになにやら不安を覚える日々。
先日も防衛省の田母神空幕長が定例会見で「クラスター爆弾は防御に有効だから自衛隊に必要」などと主張してたけど、これって思いっきり「文民統制」という原則を乗り越えてるんじゃないの?はたまた先日の松岡農林大臣の自殺について安倍氏が「松岡氏は検察の捜査の対象でもないし捜査の予定もないと聞いた。」みたいな主旨の発言をしていたけど、自分の内閣の閣僚についての情報を検察に尋ねる権限を首相が持ってるのか?そういうのは「指揮権発動」というのでは?ムチャクチャですがな。

そんなこんなで心配事は尽きないのだけど、今一番気になっているのが「著作権侵害事犯の非親告罪化」への動き。現在著作権侵害については被害者が告訴しなければ起訴されない「親告罪」であるわけだが、JASRACなどの働きかけもあり政府内で「非親告罪化」へ向けての検討が行われている。
著作権侵害非親告罪化すればどうなるか。リアルに言うと「著作権を侵害している疑い」があれば警察がいきなり逮捕出来るようになる。

ネットなどでは「著作権侵害の捜査については警察にとっては労多くして功少なしでこれまで著作権者の告訴があっても積極的に警察が動くことがなかったのだから非親告罪化したからといってあまり心配することはないだろう。」とか「路上で海賊版のDVD販売などが横行してるのを警察が横目で見てるしかないのはそもそも著作権侵害親告罪だからだ。効果的に海賊版を取り締まるために非親告罪化するべきだ。」という論調を見る。まあ「やましいところがなけりゃ親告罪であろうと非親告罪であろうとどっちでもいいんじゃない?どっちにしろ掴まるのは海賊版業者なんだし。」というのがベタな感想じゃないかと思う。

しかしながら私はとても危惧している。
これまでも「パロディ」や「引用」と「著作権侵害」の境界について多くの論争がされてきたが、明確な線引きは出来ていない。そもそも明確な線引きなど出来ない性格のものだ。そのような基準に幅があり未だに論争が起きる性格の、それも創作物という対象についてダイレクトに検察や警察が介入出来るようになることに危惧を感じる。「基準に幅がある」ということは「恣意的に運用されやすい」ということと同意でもあるからだ。たとえ確実に不起訴になるような行動であっても「逮捕」される恐れがあれば大概の人はその行動を取らないだろう。「親告罪」が「非親告罪」になれば、その運用がどうであれ確実に表現の萎縮につながる。

表現の萎縮を一番喜ぶのは誰か。