「ビート」という車。

先週はギターのデザインの打合せに久方ぶりの東京出張。徹夜明けに時速270kmで東京へ運ばれ気息奄々、余録の東京見物もせずに時速270kmで浪花に逃げ帰った。
オラ東京コワイだよ。
というか、ほとんど同じ都会の景色なのに微妙に見慣れないところが疲れるのだ。電車の吊革とかタクシーの色遣いとかのわずかな違いがノイズになるようだ。どこにも山が見えないところもどことなく不安。で疲れ果てて帰ってきたら、車の修理代見積もりが計40万円との連絡がありさらにガックリ。

ホンダが作ったビートという軽自動車に乗り続けてもう10年くらい、走行距離も20万km近くなる。「走行20万kmに近い軽自動車に乗ってる。」と人に言うとビックリされるけど、まだまだ乗り続けるつもり。入手困難を見越してストックしているパーツも部屋の片隅を占領しつつある。
私がなぜこのビートという車にこだわり続けるのかというと理由はいろいろあるのだけど、大きな理由のひとつは「この車を作り上げた人々は”自分が欲しいもの”をカタチにした」ことをこの車のそこここから感じ取ることが出来るからだ。ビートは本田宗一郎氏が最後に送り出した車であることは知られているけど、その発表会で宗一郎氏が「こんなに小さいのにスゲエ走るんだぜえ!」とまるで町工場の社長のようにはしゃいでいたのが忘れられない。

もうひとつは、ビートという車がどこにもない車だからだ。
たった660ccのNAエンジンをミッドシップにマウントした、それもタクシーより遅い(けど走るのが抜群に楽しい)市販オープンカーなんて、今のホンダにだって作れやしない。どこにも先行した見本があるわけでもなく、また決してマーケティングだけからは出てこない車。(バカバカしさで唯一対抗出来るのは同じくホンダの360ccツインカムエンジンを載せた軽トラック、T360くらいかな?)

今若い世代に自動車が売れないでいる。
それに対してトヨタ関係者が「日本経済の回復が続く中で、潜在的な買換え需要は大きいのに、自動車市場はどうして盛り上がらないのか?」などと首をかしげているそうだ。自家用車に対する経済合理性が低いことに人々が気が付きだしたとか、階層化により若年層の可処分所得が少なくなってきた、など若年層が車を買わない(買えない)理由はいろいろあると思うけど、一番大きな理由は

あなた方がつまらない車しか作れないからだとなんで判らないのかな?