21世紀のルイセンコ。

「トロフィム・ルイセンコ」という名前の学者をご存じだろうか?
ソビエト連邦で時の権力者スターリンに重用されたルイセンコの「環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝する」という学説が公式見解として採用され、メンデルの遺伝学を奉じるソ連生物学者や農学者は「ブルジョア理論を支持する反政府主義者」として処刑されたり強制収容所に送られたりしたのだ。ルイセンコの名前は政治的イデオロギーを科学に盛り込む愚かしさとそれが呼ぶ悲劇の代名詞ともなった。1950年前後の旧ソビエト連邦でのできごと。

でもこの国ではちっとも古い話なんかじゃない。
安倍首相が重用する「学者」「有識者」と称する人々はルイセンコどころか調査や統計の検証もなく政策を提言してしまうのだから。実際にここにある「教育再生会議会議議事録」を読んでみたが、「学者」「有識者」などと称しながらものごとを科学的に捉え言語化することが出来ない人々が印象だけで教育を語り政策を提言することのグロテスクさに満ちあふれている。(お子様を持つ親御さんはぜひご一読をおすすめする。本当に恐怖を覚えますよ。「なんらかの強制力につながる(親学の)制度化、仕組み作りを行いたい。」なんて平気で発言してるんだから。)

なんでこんな陰鬱な話から始めたかというと。

よく勉強させていただいている安原さんのブログエントリーに取り上げられたスウェーデンの中学教科書がすごく面白そうだったのでわたしも取り寄せて読んでみた。

ものすごく面白い。そしてちょっと感動する。

どこを読んでも面白いのだけどいくつかあげるとすれば。
あなたが読んでもすぐ気が付くと思うけど、「メディアを簡単に信用するな」「自分の頭で考えろ」ということが形を変えて幾度も出てくる。それも具体的な統計データを添えて。たとえば、「殺人事件報道で意味もなくおびえるのは愚かなこと、実際の殺人事件のほとんどは顔見知りの間で起きる。」ということや「老人は若者に怯えなくともよいのだ。老人が見知らぬ若者による暴力や殺人の被害者になる割合はごく僅かである。」という事などが具体的な統計データとともに示される。

また、「人はなぜ犯罪者になるのか?」という項目が「あなたも犯罪者になる可能性がある」という項目を含めて大きな分量を占めている。「生まれた時に親が与えた環境が最悪だった子供でも友人や近隣の理解や協力によって幸福な大人になることは珍しいことではない。」ということを実例を挙げて説明していたりする。そして保護者から虐待(スウェーデンでは体罰だけでなく”恥辱的な扱い”も法的に犯罪となる。)を受けた時に相談出来る施設の電話番号リストも記載されている。

「障害者」について学ぶ項目も面白い。
スウェーデン語を上手くしゃべれない移民労働者も一種の障害者と言える。言葉の通じない外国へ行ったときのあなたもそこでは障害者になる。」などと書いてある。(わたしはここを読んで目から小さな鱗が落ちた!)

他にも「結婚」のところでは「ポリガミーが自然な文化のところもある。」と書いてあったり、「家庭の経済」のところでは「可処分所得の少ない家庭が中古製品を買ったりするのはちっとも恥ずかしいことではなく環境にも良いことだ。」なんて書いてあったりする。あるいは「民主主義」のところでは「大勢の人々が集まりデモをすれば為政者はより真剣に市民の言い分に耳を傾けようとするでしょう。」なんてことも書いてある。

あとちょっと面白いものでは「アレマンスレット」という伝統的な非成文法「全てのスウェーデン人が持つ自然の中で自由に振る舞う権利」の説明。「他人の所有物である水面上(池や湖)でボートを自由に漕ぐ権利」「居住者の居ない他人の土地に自由にテントを張る権利」などと説明があり、「アレマンスレットの長所と短所は何でしょう?」なんて設問もある。

教科書のどこを読んでみても市民社会でのお互いへの信頼感、そしておとなからこどもへの信頼感にあふれているのだ。
もちろんスウェーデンにだって社会の軋みもあり矛盾もあるはずだ。それをもみんなでなんとかシェアしていこう、という意志にあふれている。

ひるがえって、わが国の為政者やその周りに集まる「学者」「有識者」の提言や政策はほとんど「敵」の存在を仮想したものばかりだ。
それは「理解不能な若者」であったり「無責任な親」であったり「過激なフェミニスト」であったり「地域エゴに満ちた市民」であったり「不気味な外国人」であったり。まるで「不信のススメ」。

「仮想敵」に備えるのも大いに結構だけど、その「敵」はどのような調査や統計の検証によって担保され政策や提言に組み入れられているのか。有権者の皆さんは大人なんだからせめてスウェーデンの中学生なみには判断能力を働かせていただきたいものだ。