息苦しくはないですかい?

なんというか、この国の社会の閉塞感がどんどん増しているような気がするのだけど。

この間仕事の打合せに東京に行った時のことなんですが。
その夜は杉並辺りのホテルに泊まり翌朝ホテルから駅へ向かう道すがら一服つけようとふとガードレールを見ると「禁煙地区」の文字。通勤の人々も歩いていない早朝だとはいえあちこちに「禁煙地区」って書いてあるとこで煙草に火をつけるのもなんだか気が引けるので、コンビニを見つけて店頭に置いてある灰皿の横で一服つけてあたりの景色を眺めていたんだけど、その時前を通りがかった男が立ち止まって私の手元を睨み付ける訳ですよ。最初なんで睨まれるのかわかんなかったのだけど、どうも禁煙地区で煙草を吸ってるのが気に食わなかったらしい。でも横に灰皿があるのを見てなんだか釈然としない様子でこちらを振り返り睨みつけつつ去っていったのだが...。

いささか衝撃を受けましたね。
周囲に誰もいない戸外でなおかつ灰皿の横で煙草吸ってる人間に不快感を感じるその思考停止具合に。で多分そんなのはその男だけじゃないんだろうなあという確信に恐怖を感じた訳です。
人混みで火のついた煙草を振り回して他者に危害を加える虞を振りまきながらあげくに吸い殻を路上に捨てるバカに対して不快感を感じるのは誰しもだけど、その少数のバカに対する”義憤”だけで出来てしまった「全域禁煙地区」なんていう問題解決の跡の感じられないルールが狭量な街を作ってる。

でまた別の話。
友人が中学校の教師をしていて、彼がぼやくことに「生徒の保護者の消息が判らないことがあってそれが困る。」と。
なんでも学校もPTAも「個人情報の漏洩」を恐れて保護者間の連絡網を作ることをしなくなったことはもとより、ヘタすると保護者の連絡先も教えて貰えないことがあるらしい。それである生徒が登校しなくなった時に彼の連絡先を誰も知らずに往生したと言う。

なんかおかしくない?
学校やPTAの個人情報に対するその扱い方は「個人情報の取り扱い方」についてメリットとデメリットのバランスを考えてそうした結果じゃなくて「なんかあって責任取らされるのは困る」ってだけで一律に保護者間の住所の共有を規制しただけだと思う。もちろん暴力的な借金の取り立てを恐れ住所を知られたくない家族もあったりするだろうけど、そういった少数のケースは個別に対応すれば良いだろうし、逆に積極的に同じ教室で学ぶ子供達の保護者のネットワークを作りたいという人々が多数だったりもするかも知れない。どうもどう考えても「なんだか”個人情報”がうるさいらしい。」っていう空気に支配されてるだけのような気がするのだけど。

もうひとつ別の話。
ユーザー達の意見も聞かずにいきなり原付や自動二輪車の路上駐輪に対する取り締まりが始まってしまい、友人知人達も軒並み罰金をとられてる。路上を占領する原付に業を煮やした市民の空気に便乗した法規改正だと思うのだけど、原付が路上を占有するデメリットと都市の生産性を上げるためのツールとしての原付のメリットを秤にかけて議論した結果だとは思えない。駐輪場を増やさずに路上駐輪を取り締まるのって、どう考えても都市の生産性を下げるだけのことだと思うのだけど。

いわば「少数のバカ」に対する人々の”義憤”を利用して「取りあえず禁止か規制しとけばOK。」みたいなことばかりどんどん増えてきてはいるけど、「少数のバカ」は当然そういうのは無視するので結局禁止や規制に唯々諾々と従い身動き取れなくなっていってるのは「義憤にかられた”正義”の市民」だけだという...。それだけじゃなくってこの国の人々は「自主規制」も大好き。個人のブログで「ト○タ」とか「ホ○ダ」とか書くような「自主規制好き」で満ちあふれてるし友人同士の会話で「それって放送禁止やで。」とか言ってるし。みんなそんなに規制したりされたりするのが好きなのかなあ?

今都市で”許可”を取らずに出来ることって何があるんでしょう?
なんとも息苦しい...。