退廃音楽。
このところやや引きこもり気味だったので、ちょっと迷った末に「渋さ知らズ」の岸和田浪切ホール公演に参戦したのはいいが、いやすごかった。あんなの初めて。
公演日数日前に予約したチケット(多分売り切れと半ばあきらめてた)にもかかわらず前から13列目ということにやや危惧を覚えながら出かけてビックリ。開演5分前なのに5分の入りであるのはまだしも、どう考えても「渋さ知らズ」など聴きそうにないたたずまいの人々が大量に観客席を占めてる。結局8分位の入りになった客席では拍手はパラパラどころか憮然として帰る人が続出で、ホール真ん中あたりにいた私の後ろなど完全に無人。いつもなら観客総立ちで踊りまくりハイスパートになだれ込むエンディングでも着席したまま無表情に舞台を眺めてる人々だらけ。
当て推量だけど、主催者であるホール(少し前まで三セクだった)がさばけなかったチケットを三セク関連企業や役所関係者に割引価格で、あるいは無料でばらまいたとしか思えない。だって渋さ知らズのライブがスーツ着た七三分けサラリーマンや中高年夫婦だらけって...。(スーパーで買ってきた総菜を客席で食べようとして係員に注意されてた夫婦も居たぞ。)もっとも「渋さ知らズ」のメンバーはそういう修羅場には慣れているらしく、いつもと変わらぬテンションで一部の観客達と大いに盛り上がってはいたのだが。
ある意味とっても面白かったライブではあったのだけど、ブゼンとして帰る人や盛り上がってる人々を冷ややかな目で眺めてる人を見て思わず「退廃音楽」という言葉を思い出してしまった。(「退廃音楽」とは1930年代にナチス・ドイツがジャズやポップス、あるいは実験的な現代音楽などを反社会的であるとして弾圧した時に付けたレッテルだ。)いや、なまちち丸出しのおねいさんがステージの一番高いところで踊ってるような音楽はどう考えても退廃的。退廃大好き。
もっとも公共ホールで料金を取って演奏出来るんだから退廃の度合いも至って微温ではあるのだが。
ナチス政権下のドイツでは「退廃音楽」に関わる人々は強制収容所にぶち込まれたりしたが、退廃も商品になってしまう現在の資本主義社会では音楽で退廃するのは至難の技だとも言える。FUCK YOU!って突きだした中指だって商品になってしまうんだから。
ちなみにリンクした動画は、エルヴィン・シュールホフ作曲の”SONATA EROTICA”の演奏。シュールホフはナチスに「退廃音楽家」のレッテルを貼られ強制収容所で死んだ。