「凛として時雨」。
テラテラした傷口が開いたまま風に吹かれているような。
あるいは鋭利なナイフのエッジに立ってこちらを嘲笑しているような。
「凛として時雨」。私の好きなバンド「ミドリ」のここ最近の関東近辺での共演者としてライブスケジュールに名前が載っていたバンド。その奇を衒ったような名前から勝手に自意識ムンムンなイメージを受けてどことなく敬遠してたんだけど、ネットで偶然見つけたライブを聴いて捕まってしまった。それも自分では絶対聴く耳を持ってないと思ってた種類の音なのに。
わたくし、パンク好きを自称してはいるもののあんまりノイジーなのはダメで「俺って結局リリカル野郎?」な音楽指向を自認してたつもりだったのだけど、それにも関わらず彼らの変調だらけで物語のない演奏とほとんど歌詞さえ聴き取れない金切り声のボーカルにこよなく惹きつけられたのは、多分彼らの出す音がわたしにはとても「孤高」に聞こえるから。
音楽って誰かの心とつながる暖かさを感じるものであるのと同時に、誰をも拒否するヒリヒリした心に圧倒される快感をも得るものでもある。誰かの心とつながり暖かくなれる音楽は多分私も貴方も努力すれば生み出せるかも知れないけど、剥き出しの傷口が光っているかのような音は選ばれた、あるいは選ばれなかった青年のある未完成な瞬間にしか生み出せないものであるような気がする。