医師と弁護士と消防士。

私の住んでいる大阪ではもうすぐ知事選挙が始まる。
自公の推す橋下弁護士に対する民主党のカウンターがいささか地味な大学の先生なので選挙戦の行方がちょっと判らなくなってきたような気がする。

大阪の自民公明両党が橋下氏を擁立すると聞いた時は何かの冗談だと思った。弁護士としてよりにもよって一番言ってはいけないことを言い続けている人物だからだ。「弁護士は”世間の目”を納得させるべき。」という彼の発言は、普通に義務教育で社会科の勉強をした者ならそれがいかに愚かなことか判ると思うのだが。にもかかわらず、少なからざる人々が彼の言動に溜飲を下げているかのように見えるのが痛々しくてやりきれない。

極東国際軍事裁判に於いてアメリカ人弁護士達は自らの職業倫理に従って敵国の人々のために最善を尽くしたということを書物で読んだことがある。橋下氏やその賛同者の論理で言えば彼らアメリカ人弁護士達はいわば”世間”である当時の関係国の国民感情に配慮した弁護をすべきだったのだろうか?

たとえどんな凶悪な犯罪者であっても病に苦しんでいたら医師は最善を尽くして治療するだろうし、また燃えさかる火の中で助けを求めているのがそこに放火した犯人であったとしても、消防士は自らの身の危険を承知で救助に赴くだろう。たとえ「そんな奴を助けることはない。」という声が聞こえてきても。目の前で苦しんでいる人を助ける行為にワイドショーで出来た”世論”なるものが介在する余地などあるはずがない。橋下氏やその賛同者達が望んでいるのは”世間”なるものを価値基準にした医者や消防士がいる世界だ。わたしはそんなところに住みたくはない。