ガマンすれば何が貰えるのか?

 「ねんきん特別便」なる封書が日本国から届いた。
封を切り中の印刷物を見てみれば、なんとしたことかサラリーマンだった頃天引きされてた金が7年分も行方不明だった。
 わたくし取り立てて難読の氏名というわけでもなく結婚して姓が変わったわけではなく、また頻繁に転職を繰り返してたわけでもない。それでさえこのていたらくなんだから、「ねんきん特別便」なるものが届いてない人だって一度問い合わせて見た方がいいんじゃないかな。しかしこんなことが起きても”愛国心”なるものを強要せんとする政権が崩壊しないのはある意味驚異的でもある。北の国のキムさんが政権維持のコツを伝授して欲しがるんじゃないかな。

 私事はさておき。(といってもこのブログに書いてるのは全て私事ですが。)

 最近とみに思うのは、この国は「誰かが”得”をすると自分が損したようになる気分」に満ちあふれているんじゃないかなということだ。
 自分が”得”をするのはもう望めない、それなら他人も自分と同じように”損”するべきだっていう声がたとえばバッシングされている対象に雪崩をうって殺到する人々などから聞こえてくるような気がする。そして叩いても「”損”をしてる自分」のところまで転落してはこないだろう強者に対峙するのはもはやあきらめ、自分と同じ側に引きずり落とせる(ように見える)者を叩くことで”損得”を相対化してるようにしか見えないのだ。今回の年金不祥事でもこういうことを起こしたこの国の政治システムを変えようとするのでなく単に社保庁の労働者に対して罵詈雑言を浴びせる人々しかり。

 誤解を恐れずに言えば、先般の朝青龍や亀田親子に対する、あるいは例の平城遷都1300年祭マスコットキャラクターに対する「義憤」や「公憤」だのって結局「”トク”してる奴見てると腹立つ」っていう劣情なんじゃないかなって。たとえば朝青龍や亀田親子の年収が300万円だったり、あるいはかのキャラクターの報酬が3万円だったりしたら絶対こんなバカな騒ぎにはならないはずだ。同じように、なんでこの国の市民が異常なまでの厳罰指向なのかっていえば「自分がこんだけ色々なことを無理してガマンしてるのに、奴らは...。」って気分があるような気がして仕方がない。だって人々の「倫理観」や「正義感」がそうさせるのならこんな不公正なことがまかり通っている国にはならないはずだもの。

 もっともこんなのは雑ぱくな印象論にしか過ぎないんだけど、それでもなんだかいろんなことがそう見えて仕方がない。

フェミニズムで女性達が”得”するのは腹が立つ! 俺たち男はガマンしてるのに。」

「子供らが茶髪やピアスでオシャレして”得”するのは腹が立つ! 私たち社会人はガマンしてるのに。」

「若い奴らが自由なセックスしてて”得”するのは腹が立つ! 私たち大人はガマンしてるのに。」

「ホームレスが働かずに公園を住処にして”得”するのは腹が立つ! 私たちはガマンして働いてるのに。」

 不自由な者は自由な者を嫉妬する。そういう気持ちって醜いけど誰にでもある。
叶わない恋をした時に「その人が他の人に抱かれるくらいならいっそ死んでくれたら...。」なんて頭をよぎった人は私だけじゃないはずだ。
 でも、自分たちが望む暮らしをもたらす政治はどうあがいたって手に入らない恋人ではなく望めば振り向かせることが出来るはずのものなのだ。
 私達が今手にしてる”自由”や”権利’って、ガマンするのをやめた奴隷や貧乏人や少数者によってもたらされた恩恵だってことに少しは想いを馳せてみるのもいいかも知れない。