「無駄だらけ」だから官能的なんです。

 このところいささか情緒不安定なワタクシではあるのだが、保守人士が発言するあんなことこんなことを目にしたばかりではあるまい。

 情緒不安定といえば、私の仕事道具であるMacの最新OSへの移行作業というのも相当にストレスの溜まる行為であって、外の世界ではいろいろな事が起きているというのに引きこもってOS移行によって生じる問題との戦いに明け暮れていた。もっともPCにおける諸問題は大概ネットでの情報で解決するもので、最新MacOSレパードの初心者である私はひたすら検索マシーンと化していたのだけどその過程で見つけたちょっと興味深い記事。Appleの新しいノートパソコンMacBook Airの機構設計について日経のサイトに掲載されたものだ。

【MacBook Air分解その5】「外は無駄なし,中身は無駄だらけ」

【MacBook Air分解:番外編】我々はなぜ「無駄だらけ」と書いたのか

とあるブロガーによるいろいろな人々の反応をまとめたエントリ

 【MacBook Air分解その5】での、
「私がこんな設計をしたら,社内で絶対通らないですよ」
「技術的にすごいと感じるところは一つもない。我々ならもっと安く作れる」
という「国内大手パソコン・メーカーの技術者複数名」の発言はMacBook Airの機構設計を見下してるわけではなくカルチャー・ギャップによる驚きだと理解してくれと【MacBook Air分解:番外編】でライターが釈明してるのだが、にもかかわらず「国内大手パソコン・メーカーの技術者」達の言葉は多少軽侮が含まれた言葉であるようにわたしには思える。なぜなら同じような言葉が大手企業の技術者やデザイナーからやはり軽侮を含んで発せられるのを聞かされることが私たちフリーランスデザイナーにはままあるからだ。

 私は実際にMacBook Airの中身を見た事はないが、それでもひとつ言えるのはAppleの技術者達がソニーのVAIO505EXTREMEやシャープのMURAMASAなどを入手してそれらを分解し機構設計を分析しなかったはずはないということだ。その上での「無駄だらけ」の機構設計の採用だったはずなのだ。

 途中でトラブルを起こさずに人を目的地まで運ぶという点では今や国産軽自動車でも高級外車でも道具としての性能差はさして無い。にも関わらずスポーツカーやリムジンなる「無駄だらけ」のものが存在する理由は誰にだってわかるはずだ。スポーツカーやリムジンだって樹脂部品を増やしたりあるいは複数の部品を一つの部品に兼用させたりすれば性能を維持しながらもコストダウン出来るはずだが、むやみにそれをしない、あるいはさせない意思が働いていることも誰にだってわかる。

 パソコンも自動車と同じように一般的な人々が要求する仕事をこなせることでは廉価なものも高価なものもさしてかわらなくなってきた。そして自動車がそうなってきたようにPCもスペシャリストのための道具でなくなり私達の暮らしを彩る日常の道具になってきている。
 日本のパソコンメーカーも消費者が買うのは「パソコンそのもの」ではなく「パソコンのある暮らし」であるということにそろそろ気がつくべきではないだろうか。かつて三菱自動車が「スポーツカー」であるべきGTOという車に「普段は静かな排気音ながら気合いを入れて走る時は爆音に切り替わるボタン」なるものを搭載して失笑を買った。日本のパソコンメーカーはその轍を踏んではいないか?