「公務員が多すぎる!」か? その2


 26日のエントリーに対してのアクセス数が普段の20倍にもあがっていてびっくり。
取り立てて面白いことを書いているわけでもないのになんじゃらほい?と思ったらはてなブックマークにリストされたがゆえだった。


 小人ゆえどういうことを言われてるのか気になるのでこわごわ眺めてみたらいくつか「人数の問題じゃない」との書き込みが。
 バカですか?わたし他国に比べて我が国の公務員の人数が少ないから削減反対なんてどこにも書いてないですから。「公務員が多すぎる!」という橋下氏のデマゴーグに溜飲を下げるのは愚かですよ、だって実際には他国より人数少ないんだからって言ってるだけで。


 さらに幾人かの方が書いておられるように公務員間の労働強度や構成世代の偏在という問題点や我々が受けることの出来るサービスの質の妥当性を問うことは公務員の増減方策を検討するにあたって当然の前提であることはわたしのようなバカにでも思い至ることだが、橋下氏に同調する人々はそんな「細かい」ことは不問らしい。自分より楽な仕事で自分より沢山の報酬を貰っている(ように見える)公務員がうらやましい、と正直に言えばよいものを。公憤を装うなよ、みっともないから(いみじくもかのエントリーのコメント欄で”公務員はサービス残業もしないから平均給与が主要先進国の中でも図抜けて高くなる”などとホンネをぽろっとこぼしてしまっている方もおられるが)。


 わたしも実は公務員の給与は高すぎるし人数も多すぎなんじゃないかなと漠然と感じていた。それにもかかわらず、たとえば経済協力開発機構OECD)の統計などではG7諸国よりあきらかに公務員数の対人口比も公務員給与の対GDP比も低い数字になっている。かように自分の印象と実際の現象(ここでは統計資料)とのギャップに直面したときはいかにするべきか?


 答えは簡単だ。知を使え。


 たとえばそれは統計資料を精査することだったりするだろう。諸外国の公務員には兵士も含まれているのではないか?とか日本の数字にはみなし公務員が入っていないのではないか?などと。その結果、実は我が国の実質的な公共サービス従事者が諸外国に比べて多いことがわかったとしたら自分の印象と実際の現象とのギャップは縮まるはずだ。そして「公務員が多すぎる!」という主張に正当性が与えられるだろう。


 またOECDの統計が実情に即したものであることがわかったとしたら、知のある者は自分に「公務員の給与は高すぎるし人数も多すぎだ」との印象を生じさせた情報の質と量を精査するだろう。新聞やテレビで見た?他には?


 あるいは。


・我が国の殺人認知件数は近年減少しつづけ2007年では戦後最低を記録した。


・我が国の未成年の殺人犯検挙人数とその人口比率は昭和30年代に比べると数分の一になっている。


 多くの人は上記の事実と自分の印象とのギャップを感じるはずだが、知性とはそのギャップがどこから来るものなのかを考えるためにある。


 知性や論理は感情と対立するものではない。知性や論理は感情に自省を与えるものなのだ。


追記:
はてなブックマークに「”デザイナーが多すぎる”かと思った」っていうのがあって大ウケしてしまいました。