スタート・ユア・エンジン!


 「ジェントルメン、スタート・ユア・エンジンズ!」という有名なフレーズはかのインディ500での闘いの始まりの合図だ(女性ドライバーがエントリしているときは「レディス&ジェントルメン〜」となる)。


 インディに比べると随分ショボいけど、キャブレターにガソリンを送り込みキックで250ccのエンジンを目覚めさせる時の高揚感はまさに脳内で「ジェントルメン、スタート・ユア・エンジンズ!」とのアナウンスが流れるがごとく。今まで冷たい鉄やアルミニウムの固まりだった物体が熱を持った生き物に変貌する瞬間なのだ。


 工業製品を生き物になぞらえるのはセンチメンタリズムに他ならないとも思うし、「バイクは自由の象徴だ!」などと幼いことを言う気はさらさらないけど、それでもやっぱり「人間にはバイクに乗る人間とそれ以外に区別される。」という高慢な選民思想的フレーズがつい口をついて出てしまう。いかんいかん。


 わたしは死ぬまでバイクに乗れるようでいたいと思ってるのだけど、工業製品たるバイクをめぐる風景は随分様変わりしてしまった。
 オイル混じりの排気ガスをまき散らす2ストロークエンジンは環境への配慮から路上ではほぼ絶滅し、レーサーでさえ4ストロークの野太い音を響かせるようになった。また排ガス濃度のコントロールが難しいキャブレターからコンピュータ制御によるインジェクションシステムへの切り替えによりバイクのブラックボックス化が進み、自分でエンジンヘッドやキャブレターを分解し愛車の状態を自分の目で見るという楽しみも奪われてきている。


 それどころか化石燃料が持つエネルギーのほとんどを無駄な熱として消費する内燃機関の終焉も先進諸国では論議されるようになってきた。石油以外のエネルギーで走る車やバイクがほとんど実用化の域に達しつつあり、私の好きなオフロードジャンルでも既に電動モトクロッサーなるものが市販されていたりする(ロードノイズ以外ほとんど無音で疾走する様子はなんとも不思議)。もっとも途上国などでは車やバイクの動力源を石油以外に転換することなどインフラを含めまだまだ覚束ないところが沢山あり、また動力源を単純に水素や電気に替えることが本当にエコロジカルなことなのかどうかは議論が分かれるところではあるが。


 いずれにしても、いつかは私たちが「エンジン」なる非効率的な動力装置を捨てる日がやってくるのは間違いない。そしてたとえそんな時代がやってきたとしても車やバイクにエクスタシーを求める人々は無くなりはしないだろう。次の世代の技術者やデザイナー達は「ジェントルメン、スタート・ユア・モーターズ!」という言葉でアドレナリンが沸き出る乗り物をこの世に送り出せるだろうか。