マーケティング?so what!

時々拝見して勉強させていただいている大西宏さんのサイトのなかで、西友が苦戦しているという記事が書かれていた。
ウォルマート流の「エブリデー・ロープライス(EDLP)=毎日安売り」が功を奏せず、再び安売りチラシも復活させるとのこと。
わたしの近所には西友がないので最近の西友店舗の雰囲気は判らないのだが、大西さんが「輝きも勢いも個性も感じられず、経営が厳しいのはデータを見なくとも肌で感じるはず」と書かれておられるのはなんとなく感じはわかる。
というのも、かのダイエーの凋落が始まっていった時に各ダイエー店舗がみるみる「輝きも勢いも個性も感じられ」なくしていったからだ。
まだメディアでもダイエーの凋落がそう取り上げられていない時期だったが、周囲の複数の人々が「ダイエーでは買い物する気にならない」と口にするのを聞いた。その理由を聞くと「なんだか侘びしい気分になるから」。
人によっては毎日立ち寄り、かつ幾ばくかの時間を過ごすところだ。当たり前だが同じお金を使うなら侘びしい気分で過ごしたくない。

当時のダイエーも、また現在の西友も多くの費用と時間をかけてマーケティングしているに違いない。それがなぜこのような事態を迎えているのか。
わたしはマーケティングの効用を否定しない。というより一部の幸運な事例を除いて、マーケティングをしない物販のリスクはマーケティングに必要な費用や時間を超えるのは当然だと思っている。

以前所属していたデザイン事務所で担当だった洗濯用品会社の開発企画ミーティングに参加した、その時の話。クライアント側の担当者はみんな洗濯用品のプロを自負している人たちである。当然川上から川下まで流通の情報にも精通している。
私のデザインに対してクライアント側からは成形効率やパッケージング、そして量販店頭での棚割に関してはガンガン意見が出るのだが、実際の洗濯シーンに於けるデザインの役割については余り意見が出ない。ふと思いついて「この中で自分で洗濯したことのある方はどれくらいおられますか?」と聞いてみた。
ところがなんとわたしを除いて自分で洗濯したことのある人は皆無だったのである。

マーケティングをするものは、そのマーケットの情報に精通していなければならないのは当然であるが、それよりも大切なのはそのマーケットの当事者としてのスタンスであること、それも冷静な観察者としての目をもった当事者でなければならない。つまり”消費のプロ””暮らしのプロ”であれ、ということだ。
冷徹な分析者としての目と消費の当事者としての目は相反するものではない。

暮らしを愉しむものがより良い暮らしを創りだせる。
西友の方針決定者は果たして消費者としてプロだろうか。