ユーザビリティについての雑感・その1

入居しているビルの立体駐車場を借りているのだが、そこの車載パレットの操作盤がとても使いにくい。馴れない入居当初は何度も操作ミスをした。いまでも操作するたびにそれをデザインした奴を心の中で罵る。
ちなみに車を入庫するときの操作手順は(下に貼り付けた写真では少々判りにくいが)




1)「入庫」ボタンを押す。「入庫」ボタンが点灯する。

2)「数字」キーで暗証番号を入力。

3)「設定」キーを押す。

4)「呼出」ボタンを押すと駐車機器の動作が始まる。

5)車をパレットに載せ終わったら赤い「ドアー閉」ボタンでドアを閉める。

5)出庫する時は最初に「出庫」ボタンを押しあとは同じ。なおユーザーは通常は左側の「アラーム」「出口側ドア閉」赤い「運転準備」は使用しない。

わたしは「入庫」より「出庫」が左側になっているのにまず「なんでやねん!」となり、暗証番号を押したあとにすぐ「呼出」を押すとエラーになってまた最初からやり直さなければならないのにムッとなり、下のグループのボタンを押してエラーになったのに上のグループの「訂正」キーを押さない限りなにも出来ないのにまたムッとし、普段使う「ドアー閉」ボタンと全く使わない「運転準備」ボタンが同じ赤色でなおかつグルーピングされているのにいたく神経を逆撫でされる。
要はボタンやキーの階層やグルーピングや時系列がバラバラの操作盤なのだ。
わたしはことあるごとに同業者にこの操作盤の使いにくさを訴え同意を迫るのだが、あまりピンとこないようだ。あまつさえある人は「入庫」「出庫」ボタンの時系列について「僕みたいな左利きにはその方が自然やねん。」という。ホントか?

ユーザビリティ」や「アクセシビリティ」という言葉がメディアで使われだして時間が経ち随分身近な言葉になっている。
デザインにおける「ユーザビリティ」や「アクセシビリティ」とは、くだけて言うと「使いやすさ」という価値基準を取り入れたデザインをしよやないか、使う人が取っつきやすい構造を持ったデザインをしよやないか、ということだ。
ユーザビリティ」や「アクセシビリティ」をデザインに取り入れる手法を解説した書籍も数多く見るようになった。
今頃になってそんな当たり前の概念がことさらに取り上げられるのは、そんな当たり前のことさえ意識せずにデザインされてきたものがこれまでいかに多かったか、ということの証でもある。

ことさらに「ユーザビリティ」や「アクセシビリティ」などと大上段に構えなくとも、「自分が使いたい、そして自分が愛する人々に使って欲しい」という所から出発しているのであれば「使いやすさ」や「取っつきやすさ」の最初のハードルは越えることができると思うのだが、そんなことさえイメージせずにデザインされてしまったものが世の中にはすくなからず存在する。(もちろん自分に無い属性を持つ人のためのモノやサービスをデザインする時には当然想像力だけでなく調査や実験が必要である。)
使いにくいインタフェイスを持つ製品に遭遇してしまったとき、「人間が嫌いなんやったらデザインを仕事にするなよ!」と思わず毒づいてしまうのだが、デザインとは「人とつながる」ためのものだという視点が欠けたままで「ユーザビリティ」や「アクセシビリティ」をいくら語っても虚しいだけである。