ある酒造メーカーからの電話

わたしは殆どお酒が呑めない。
仕事柄接待の席などにも縁がないし、呑み会に誘われた時にもウーロン茶やジンジャエールで楽しく騒げる方だ。
ところがこの頃少しお酒を呑むようになった。
不眠が酷いので、買い置きしたお酒を睡眠薬代わりにほんの少しだけ呷るように飲みこんで床につくのだ。
それでもあまりきついお酒は受け付けないので色々試したところ、濁り酒ならなんとかおいしくいただける。本来濁り酒は気温の低い時期のものだが、近所のスーパーではなぜか常に店頭に並んでいるのでまとめ買いをして冷蔵しているのだ。

つい先日、買っておいたストックを開封して一口あおったところ変な味がしたので吐きだした。酸っぱくなってしまっており、あきらかに変質している。
スーパーのレシートは廃棄してしまっていたので、酒造メーカーに返品交換出来るかどうかを直接問い合わせしてみた。
電話での応対は大変丁寧で、「着払いで送付していただければすぐに同じものを送らせていただく。」とのことだったのですぐに梱包して送付した。数日後にでも代替品が送られてきて、この件はそれであっさり片づくだろう。

そう思っていたのだが、翌日の夜遅く帰宅したら当の酒造メーカーの社長と名乗る方から留守番電話にメッセージが入っていたのだ。
わたしのクレームに対する返答をするために電話したが留守だったのでまた改めてお電話させていただく、とのことだった。
次の日に早速電話がかかってきた。
社長はまずわたしのクレームに対して陳謝し、そして濁り酒を通年で製造するのは実はリスキーなことなのだが、米の味わいのする濁り酒を消費者に楽しんでいただくために努力されておられることをお話してくださった。
リスキーというのは、もろみなどの澱粉質が多く残っている濁り酒は高温殺菌を長時間施すと澱粉質が糊状に変質してしまい味わいが損なわれてしまうが、かといって高温殺菌しなければ雑菌により異常発酵する確立が高くなる難しいお酒なのだそうだ。その酒造メーカーでは高温を通さずに殺菌する方法を最近確立できたので、ドブロクのようなより鮮度に敏感でこれまで流通の難しかったお酒も味わっていただけるようになった、とのお話もおうかがいすることが出来た。

自社製品への思い入れを感じさせてくれるその電話はわたしをすごくいい気分にしてくれた。そして自分が少し恥ずかしくなった。
実は正直言って、おいしくいただいていたにも関わらずその酒造メーカーの製品を少し軽んじていたところがあったのだ。
いわゆる「幻の酒」に類するような生産量の少ない吟醸酒などと違って、スーパーの棚に定番で並んでいるようなお酒だったからだ。
「幻の酒」だってダメなものはダメ、スーパーの定番商品だって良いものは良い。
メジャーであろうがマイナーであろうが製品の善し悪しには関係ない。製品の善し悪しを決めるのはそれを作る人々の思いの込め方だ。
その電話はそれをわたしにあらためて気付かせてくれた。

ごく最近、小さな交通事故の被害者になった。加害者の契約していた損害保険で車の損害をカバーしてもらったのだが、ちょっとしたクレームが生じた際の損保会社のあまりの不誠実な対応に唖然とさせられた。(不誠実な対応というのは金銭的なネゴシエーションについてではない。金銭的にはわたしも加害者も双方全く円満に合意を得ていたのだ。)その会社の酷い対応に憤慨したわたしはもとより、保険契約者である加害者もその損保会社は信用できないので解約すると怒っていた。
これでこの損保会社は潜在顧客と現在の顧客を一人ずつ確実に失ったのだ。わたしはその会社の対応を複数の知人に話しているし機会があればさらに多くの人に話すだろう。もしかしたら潜在顧客をもっと失うことになるかも知れない。

商品を製造したりサービスを提供したりする上で、顧客からのクレームを完全にゼロにすることは不可能だ。それならばそのクレームをプラスに活用するしかない。
クレームをビジネスチャンスにするのは、それに対応する人が自分の提供する商品やサービスにプライドを持っているかどうかにかかっている。

わたしは次にお酒を買うときにもこの酒造メーカーの製品を買うだろう。また知人たちにもこの話をするつもりだ。
この会社の名前は三輪酒造という。