無人島に一冊持っていくなら。

人間の脳ってどうなっているのだ?
っていうのは先日見た夢にいきなり中学時代の同級生だったスズキ君が出てきた。特に印象的な人物だった訳でもないのでずっと彼の事など思い出すこともなかったのに、なぜか「廃墟と化した巨大な工場を支配する工場長らしき人物」という、その夢の中では主役級のイイ役で登場。目が覚めてからも不思議で仕方ない。

まあ自分の見た夢を語るのは厭われる話題のひとつだと思ってるのでこの辺でやめておこう。

先日知人と書物の話になり、「自分にとってバイブルに近い本」としてある文庫本を紹介した。
紹介したのを機に再度読み返して見たのだがやっぱり抜群に面白い。
その本は「日本語の作文技術(本多勝一著)」。
これまでに読んだ本の中でわたしの生活に一番影響を与えた本かも知れない。
思想の形成に役立った本は沢山あるが、その表現に役立った本は今の所この一冊だけだ。

この本の中の白眉が「句読点」の使い方だ。これだけでもこの本を読む値打ちは充分にある。
私は、「マル(句点)」はともかく「テン(読点)」は何のためにあるのかよくわからなかったし、学校の作文指導でも詳しく教わった記憶が無い。(”息継ぎのため”などと教わったかなあ?)小学生や中学生時代にこの本を読んでいれば作文の時間がもっと楽しかったに違いない。(これ読んでる人、学校でどう教わりました?)
では「テン」の使い方。

第一原則「長い修飾語が二つ以上ある時、その境界にテンを打つ。」

第二原則「原則的語順が逆順にある場合にテンを打つ。」

付則「思想の最少単位を示す自由な”テン”がある。」

これを理解するだけであなたの書く文章は飛躍的にわかりやすくなる。

ただしこの本には副作用がひとつある。
新聞や雑誌に載っている文章の無神経さが気になって仕方なくなってしまうことだ。
「日本語は論理的な記述に向いていない。」と平気でいう学者や文化人をメディアでよく見かける。それに対して本多氏は「全ての言語は論理である。”日本語が論理的な記述に向いていない”という人はその人の思考が非論理的なのだ。」と喝破する。全くその通り。

タイトルの「無人島に一冊持っていくなら。」
そう、無人島に漂着してずっと独りで過ごさなければならないとしたら、私は本を読むのではなく文字を書くだろう。

こんな事を書いていて、「この人の文章、わかりにくいなあ。」と思われてたら凹むなあ...。