鈴木常吉「ぜいご」を聴く。

以前にも少し書いたのだけど、自分が何者になりたいのか判らず悶々としていた10代後半のわたしを父はことあるごとになじり、それに応えられないわたしはずっと鬱々と暮らしていた。

ある日のこと、なじる父に耐えられなくなったわたしは思わず父の胸ぐらをつかんでしまい、もみ合いになった末に父を押し倒して床に押さえつけてしまったのだ。
押さえつけられたまますごい目つきでこちらを睨み付ける父。わたしはそれ以上どうしていいかわからず思わず力を緩めてしまったのだが、父も同じようにどうしていいかわからなかったのか、肩を震わせた後ろ姿を見せながらわたしの部屋を出ていった。

その日の深夜、ふと居間を見ると明かりがついていて、そこにぽつんと座った父が何かを一生懸命直している。
もみ合った時に落としたか、あるいはわたしが投げつけたかはもう記憶も定かではないのだが、勤続何周年かで父が勤め先から貰った記念品の掛け時計がわたしと父がもみ合っているときに壊れてしまったのだ。わたしが見たのは不器用な父がみすぼらしい灯りの下でそれをなんとかして直そうとしている姿だった。

何かを諦めてそれでも何かにしがみついているような父の姿。初めて父を「親」ではなく「にんげん」として見た夜だった。

このひとのうたごえを聴いているとそんな記憶が蘇ってくる。
ひとは生きて死んでゆく、それがただ愛しくなる。

父が亡くなって三年を迎え、わたしもあの頃の父と同じような齢になってしまった。