何の罪も無いはずなのに何らかの罰を受けてる。
ご存じの通り文化庁やJASRACなどにより著作権法改正が目指されてるわけですが。
著作権というものに神経質にならざるを得ない職業柄、制作者が本来受け取るべき対価を受け取れない事態を防ぐためには賛成すべきなんだろうけど、著作権保護という仕組みがアーティスト達の創造的な活動を擁護するためのものから企業の既得権益を保護する道具に変質してしまった現代ではどうしても釈然としないものが残る。
それは収益性のある限られたコンテンツを守るために、収益性のない膨大な量のコンテンツが死蔵されてしまう、ということだ。(たとえばテレビ番組などの放送コンテンツでDVDやVTR化によって二次的収益を期待出来るのは全体の5%と言われる。)
また、たとえ収益性のあるコンテンツであったとしても、そういうものが「在る」ということを知る手段も狭められてしまう。
YouTubeやニコニコ動画などからダウンロードした古いCMやドラマの映像を観て郷愁を満たされたり同世代の人々と盛り上がったりすることはなかなか心豊かなことだと思うのだが、そういったことも改正著作権法では違法行為となってしまう。しかし将来にわたって有料コンテンツ化されることのないだろう映像をダウンロードして個人的に楽しむことが犯罪であるならその犯罪の被害者は誰なのだろうか。
また同じくYouTubeやニコニコ動画などでこれまでラジオやテレビでは知り得なかった音楽や映像を知ることが出来、それをきっかけにCDやDVDを購入したことは私も何度もあるが、そういった音楽や映像が「在る」ということさえ知ることが出来なくなることは創作者達にとっても不幸なことではないのだろうか。
音楽や映像というものは私有財産でありながら人々の記憶や暮らしに大きく影響する公共財産でもある。
音楽や映像がデジタル化したことが劣化しない複製を可能にし、ゆえにその複製を規制する声が出来てきた。それならいっそ「劣化した複製は可」という風にしてしまえばどうかな。商品として成り立ちそうにないビットレートの映像や音楽でも記憶の共有や未知のコンテンツの紹介になら充分なはずだ。ダメかなあ?
※リンクした曲はアニメ「LAIN」のエンディングに流れる仲井戸麗市の「遠い叫び」。素晴らしい歌だけどYouTubeが無ければ知ることも出来なかった。