女らしいってわかるかい?

デザイナーって商売をしてるとジェンダーバイアスについて考えさせられることが多い。男性用女性用のラインアップがある製品を手がけるときに有無を言わさず男性用=寒色、女性用=暖色の配色を強いられたりするのは分かりやすい例だけど、わたしがかつてサラリーマンデザイナーをしていたときに一番ジレンマだったのが「花柄」だった。

 この花柄さえなければシンプルで美しい製品なのにホントに女性はこんな柄の付いたものが欲しいのかなあ?といぶかりながらも花柄サンプルに埋もれながら仕事をしていたのであった。とりあえず花柄。なにはなくとも花柄。もっとも花柄を要求するのはメーカーやバイヤーのオッサンで、それに応えるのもオッサンデザイナーであったのだが。(ちなみにマリオ・ベリーニがデザインしたシンプルきわまりないポットや炊飯器にメーカーがベリーニに内緒で花柄を付けて売ったのは有名な話。)

 ジェンダーバイアスの再生産に荷担することにいささか自意識過剰気味に苦悩しながらサラリーマンデザイナーをやっていたのだが、今や逆に花柄のポットや炊飯器は探す方が難しい。その理由には流通形態の変化により「女は花柄!」なオッサンバイヤー達が駆逐され市場からのフィードバックが開発の現場に届きやすくなったというのもあるはずだが、やはり消費者の意識が変わってきたことが大きいはずだ。

 体型や生理以外の要素で製品を女物男物に分ける合理的な理由はない。花柄であろうと迷彩柄であろうと自分の好みで選べばいいはずだし、実際今の消費者は柄や形でいちいち「これは女物、こっちは男物」などとカテゴライズしてないだろう。

 でも少し前まではそういうカテゴライズって当たり前だったし、女物を男が使う、あるいはその逆も勇気がいる時代があった。そしてその勇気が必要な場面はまだいくつも残ってはいる。赤いランドセルを背負う男の子を見つけるのは難しい。

 それでも「今時の若いやつ」はこの社会をまだまだ変えていってくれるだろう。スカートを履いたりメイクをしてる男の子達を街で見る度にそう思う。
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